渡辺徹さんのご冥福をお祈り申し上げます [供養]

まだ若くて元気と思っていた渡辺徹さん、
最近では深夜の番組で、「地球ダイナミック」の声が印象的でした。
昨年は大動脈の手術をしていて、現在まで週に3回も透析をしていたとは、知りませんでした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
生年月日が1961年5月12日ということで四柱推命で拝見しました。
10年ごとの大運は、52歳から61歳まで、丁亥の食神(死)七冲、となっています。
空亡:天中殺は寅卯です。
食神の死というのは飲食に不自由する、楽しめない、という意味です。
七冲は家族または自分に害があるということです。
食神の大運が尽きる年、61歳、しかも空亡の寅年に亡くなられてしまいました。
11月は亥の月ですが、大運の補助運と同様に亥は、彼にとって「死」を意味し、11月に亡くなられたことと一致しました。
まだまだご夫婦仲良くご活躍していただきたい俳優さんでした。残念です。
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憑依霊と怪奇現象 [供養]

今日は憑依霊についてのご相談がありました。
最近は、塩では効かないという説もあります。
日垣の庭神道の故宮主先生はかつて憑依霊は怖くない、ただ友達のように親しく、話して去ってもらう、と。宮主先生ならではの神パワーだと思います。
山蔭神道の故山蔭基央先生は、なんどもお祓いをされた専門家ですから、講演会では鎌倉の家の
話をされていました。大企業の科学者の家は、大きな家で不思議な現象が起きる、調べると戦国時代は古戦場跡地だったから何十人もの武士の霊が出没していた、
ご祈祷するには、こちらも、50人以上もの祈祷師の力で対抗しなくてはならない、それも一日やそこらでは無理で何日もかかる、
何百万円のカネをかけるくらいなら、引っ越した方が良いとアドバイスした。
すると家族は引っ越ししたのですが、山蔭先生が全ての家具を処分せよ、というのに、テーブルだけはなじんでいるからと新居に持ってきてしまった、
山蔭先生は声を荒げて、それこそ最も霊がついているものではないか、と叱ったほど。
そこで慌ててテーブルを処分すると、変なことや嫌なことが起きなくなったという話でした。

私の知人は、奥様を亡くされて1,2年の男性と交際を始めた、
ある日同じ部屋に入ったところ、ものすごい臭気が充満して、魚の腐ったような死臭のようなにおいに
たまりかねて部屋を出て、交際は終わったそうです。
霊は、音を立てたり、物を飛ばしたり、人を転ばせたり、運転を誤らせたり、臭気を充満させたり
自由に色んなことができるので、生きている人間は敵いません。
くれぐれも死者を大切に、お彼岸ですから、ちゃんとお参りしたほうが良いと思います。

カトリックのロミオ・ロドリゲス氏はメンタリストですがエクソシストでもあり、やはり聖書に基づいてご祈祷し悪魔祓いをするそうです。youtubeの動画もありますので、ご覧ください。

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彼岸の前にお墓参り [供養]

昨日は晴天になり、方角も良かったので、朝早く家を出て(といっても8時半)日帰りで福島のいわきへ墓参に行ってまいりました。
お盆の前に行けなかったので、せめてお彼岸の前にというわけです。
伊勢原から小田急で一時間、中央線で20分、東京駅に着いたのは10時でしたが東京駅でトイレを探すのに走り回り時間のロス、八重洲口で高速バスのチケットを買って乗れたのは午前11時発でした。その時に帰りのバスのチケットも残席一つなので買っておきましたが、18時いわき発でした。
幸い日曜なのに行きは満席ではなく、ご夫婦やカップル以外は一人二席を独占してゆっくり行けました。急にも関わらず、バスからメールをすると田舎の友人が高速のバス停で待っていてくれて、母方の祖先の墓と父方の祖先の墓と両方を彼女の車でお参りできました。
片道五時間ずつの日帰りは忙しかったですが、お陰ですいすいと周れました。
途中友人が寄った家は、私も小中学校の同級生で数十年ぶりに会え、お互いに、変わってないねえ、と感激。いえいえ、紆余曲折あり、なんとか形式は保っていながら中身は中性脂肪多すぎやら、血糖値高めやら、ボロボロなのですが同級生は若々しい感じでした。
 父方のお墓は湯本駅近くにあり、祖父母や長男夫妻が眠っています。
夏のような暑さの中、無事にお参りを終えて、石炭化石館も見学し、湯本駅前に足湯につかり、
湯本駅から平駅(今のいわき駅)に電車で行って、昔なつかしい市川パンでパンをたくさん買い込み、駅前のミスドで大好きなタンタンメンを食べて、バスに乗り込みました。
 東京駅で午前中に切符を買った時は、一つしか空きがなく買えただけでもラッキーと思ったのですが、帰りに乗ってみると、ガラガラ、全部で10人程度しか乗ってませんでした。遅い時間なので、ほかの人はキャンセルしてもっと早いのに乗ったのかもしれません。でも二席を一人で使えると、隣の人に気を使わなくていいので、ずいぶん楽です。
 しかし、片道五時間で現地滞在4時間の日帰りは、年ごとに疲れますので、徐々に料金倍でも特急ひたちにしなくてはと考えます。
 しまった、が二つありました。
東京駅でようやくトイレを見つけたあと、トイレの中に貴重品を入れたバッグを忘れたのです。
20Mほど歩いてから、あっと気が付き、走って戻り、まだ誰も次に入ってなかったので、しっかりゲットすることができました。普通のトイレなら並んでいたので、無理でしたが、緊急事態?だったので障碍者用トイレに入ったおかげかもしれません。
 いわきでは、友人の車の後ろに引っ張りカートを入れてもらったのですが、道路上でさようならしたとき、あわてていたので、車後部のカートをおろすのを忘れたのでした。
数歩歩いて気が付き、慌てて手を振って車のあとを追いかけたのですが、彼女も駅に部活の孫を迎えに行かねばと慌てていたせいか、あっという間に消えてしまいました。電話やメールをするもつながらず、後で宅急便で送ってもらうとしたら大変と思いつつ、ともかく父方の墓参りをしてとお寺の中を歩いてお線香をあげていたら、電話。孫を乗せてまたお寺に来てくれるとかで10分ほどで到着。いやはやお世話になりました。でもおかげで部活で日焼けしたA君にもあえて幸いでした。
その後、石炭化石館まで乗せてもらい、今度はカートを忘れずに降りて一人で見学。
もういわき市へ行くたびに見学しているので5回目くらいですが、行くたびに感動します。
巨大恐竜の骨の展示には古代への思いが、炭鉱の坑道模型には常磐炭田の歴史を考えさせられます。
土曜なのに空いていて、一人で乗った坑道へ下がるエレベーターが真っ暗になったのは、ちと怖かったです。坑道の両側には時代をたどる採掘の歴史が人物模型で展示されていたり、昔の炭鉱長屋が
あったり。長屋の中に火鉢がおいてありましたが、いえいえ当時は暖房は石炭ストーブです。
長屋の友達の家に遊びに行くと、石炭が熱いほどにゴンゴン燃えていて、火鉢とこたつだった我が家と比べて暖かいのでうらやましかったです。
かつて石炭化石館には子供や家族と一緒に来た時を思い出しました。そこを出て五分で湯本駅です。
バスの時間まで湯本駅前の足湯につかりましたが、50度もありそうな熱湯で一分つかるのがやっと。ホームに行くと、そこにも熱い足湯がありましたので、なんとサービスの良いことと思いましたが、もう靴下をはいたので二度は入らなかったという珍道中でした。
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sorry for his passing away [供養]

I'm so sorry for a mathematic teacher who passed away last week.
He was a colleague , working with us when we were young.
I went to his funeral eve with another teacher who taought music.
He was a liberal and cheerful teacher and he liked to drink so much.

I remember the day that we went to Hakone Onsen for the Bounenkai that means a year end party.
He drank a lot ,sang and danced with other teachers.
Dancing merrily , he and his colleagues knocked down the paper sliding door called fusuma.
That made us laugh.
He was such a cheerful man.

He was so fine that I and a music teacher wondered why he had passed away suddenly.
On the funeral eve, we could heard the reason why he passed away.

Last week , he and his wife went shopping by car.
He picked up the goods from the car and took them into the house.
After that , he had to drive the car to the parking place.
So he got on the car again and took the handle.
On the moment his heart had stopped suddenly.

Hearing the story , we felt so sorry.
He was still young and had to live longer.
He has s pretty wife and three handsome sons who looked like him.






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特攻隊だった亡き父の終焉の地 [供養]

12日の続きですが、染井霊園でお参りした後、巣鴨の駅前の福福まんじゅうというお店でまんじゅうとアイス抹茶入り緑茶をいただきました。おいしかったです。
お店をやって40年というご夫婦、お饅頭を買いにくるお客さんにいちいち丁寧に説明します。明日までなら冷蔵庫、その後は冷凍庫とのこと、何度も繰り返し丁寧に説明するのでお茶を飲んでいる私も覚えました。
上京のついでに、父が最後に住んでいた場所を確認したいと足立区花畑という所まで電車を乗り継いで行ってみました。
私が5歳の時に家を出た父(お婿さんでした)はその後再婚し、東京に住んでいました。
47歳の時に肺ガンになり、日本医大病院で亡くなったのですが、亡くなる二ヶ月前に父の友人の御案内で病院へお見舞いしたことが最後の会話でした。
その前に父が丁寧な地図を書いて東京の叔母に送った地図ですが、叔母がいらないから、と数年前に
送ってくれたのです。
北千住からバスに乗って花畑車庫の終点で降りて5分と地図には書いてあります。
花畑車庫行きというその路線は現在も同じくありました。
数十年前の地図ですから、父が暮らした古いアパートなどありませんでしたが、その辺には
新築の住宅や新しいアパートが数棟並んでいて、この辺だったのだな、と思いました。
昔ながらの家は畳やさん位です。
かつては特攻隊に志願して土浦の海軍兵学校で学んだ父、出撃の直前に終戦となり、帰郷して母と結婚、私が産まれました。
私が育った広くて大きな家を出て都会の片隅で人生を終えた父、ささやかながら、一家の主として幸せだったのでしょう。
近くの綾瀬川の橋からスカイツリーが見えました。
バスの終点が人生の終点となり、そこから天国へ逝くと花畑があるなあ、と思いました。父にとってそこは最も天国に近い場所だったのかもしれません。
すぐそばの綾瀬川からは空に夕焼けの雲がピンク色に染まって見えました。
今はこんなにきれいな天国だよ、と父が見せてくれたような美しい雲でした。
綾瀬川.jpg花畑ピンクの雲.jpg花畑の雲二本1.jpg

三浦半島へ行ってきました。 [供養]

032.JPG27日は、父と母の月命日である。
父は7月27日、母は3月27日。
更に父の誕生日は3月27日で母の命日と一緒だ。

先週の水曜日、ふと予定が空いて、母の海洋葬をした三浦半島へ行ってこよう、と思いついた。
そして、車を運転途中、父の命日でもあることに気が付いたというわけです。
(親不孝ですみません)

 お花とコーヒーを持って出かけました。
途中から晴天になり、暑くなってきたので、葉山のご用邸を過ぎた海岸のデニーズで一休み。

葉山はその日の夕に花火大会ということで、昼間から混んでいて、海に面したテラス席は予約席ということで
張り紙してありました。

デニーズからは、対面に富士山が雲の上に浮かぶように見えました。
昔、森戸海岸からも、富士山が見えたことを思い出します。
あれは、何度目かの青春で、みんなで午後からワイワイとドライブに来たのでした。

 もっと昔の学生時代には、友達同士で、東京からフォルクスワーゲンで仲間の誰かのお父さん所有の別荘に遊びに来たことも思い出します。
葉山の海岸から少しくねくねと山道を登ると、昔風の三角屋根のロッジがあったわけで、まるで青春映画でした。
 そんなことを思い出しつつ、海上自衛隊基地を通り過ぎ、昔の水産高校が海洋科学高校とかに名前が
変わっているのを横目で見ながら、三崎港につきました。

 三崎港の眺めは下田港とそっくりなのに気が付き、そのまま車を走らせると、高台の上のほうは
剣崎というところで、公園には巨大な風車がありました。

 しかし、三崎港も剣崎も、人が多くて、お花とコーヒーを献上する場所がありません。
結局、帰りに又通った葉山の海岸にお花と飲み物を捧げました。

 昔、三崎のまぐろ祭りのときには、まぐろの漬け丼を食べて、まぐろの刺身を買って返ったのに、と
思い出します。
放射能が気になって、魚は控えめのこの頃です。肉は勿論ですが。

 どうしても食べたいときには、魚も肉も焼くと放射能が濃縮されるので、ゆでたり、にたりして、ゆで汁や煮汁の中にセシウムを出してから、食べると良いみたいです。
 だから、魚の煮汁で野菜を煮たり、煮こごりにして飲んだりはできなくなりましたね。