ウクライナ美人 [戦争]

ウクライナ美人といって、昔からアジアで最も美人が多い国とされてきた。
その国民が千万人単位で国外へ逃亡、避難している。祖国を失う辛さは
フィクションだが日本沈没で国民が海外へ避難するありさまと同じ。
ユダヤ人が2000年もの間、国を終われ、世界中をさまよったディアスポラが
再現されようとしている。
連日、ウクライナが爆撃されて殺戮されている報道ばかりをテレビで見るにしのびなく
youtube ばかり見ている。
明るすぎる岡田斗司夫のジブリ映画を批評分析する話や、ハワイのフラ音楽、
アメリカ先住民の音楽、イスラエルの民族音楽など見ているうちに発見したのは
ウクライナの国歌や音楽。ウクライナの国民に祝福あれ、と祈ります。
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父の予科練時代 [戦争]

父の予科練時代のアルバムに、叔父が虫眼鏡で父を見つけては付箋を貼って送ってくれました。私が30年も住んでいた湘南の辻堂海岸で訓練をしていたとは驚きでした。湘南の海岸は遊び場所とばかり思ってましたので・・・・・・
 父は特攻で飛び立つ指令を受けて北海道へ移転して三日後、終戦となり、生きて帰れたわけですが、47歳で死去。母は特攻隊で死ぬはずだったから、それよりは長生きした、と申しておりました。その母も54歳で終わったのですが。二人ともダンスが好きだったとか、短くても楽しい人生だったのかも。

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引揚者70年の歩みー語らなかった女たち [戦争]


語らなかった女たち ー引揚者・七〇年の歩み


今、茅ヶ崎市では、従軍慰安婦の映画を上映することについて、抗議が来ているそうです。
朝日新聞は記者が監督を取材されました。一方産経新聞は、上映会を後援した茅ヶ崎市に抗議が殺到という見出しです。
30年も前ですが、私個人は監督の女性パクスナムさんの講演を茅ヶ崎のカフェで拝聴したことがあります。内容は詳細には覚えてないのですが、日本は戦争中、数多の悪事をしてきたのだから、何も言えない、と思いました。
8月に綾瀬はるかさんのドキュメンタリー番組で、満州でロシア兵に蹂躙された日本人女性のことが取り上げられていました。
偶然見たのですが、日本の女性も朝鮮半島の女性と同等の悲劇を体験経験していたのだと知り、
戦争の怖さを思いました。戦争は普段優しい男たちを鬼か悪魔にするのでしょうか。
その歴史が書かれた本「語らなかった女たち」がやっと出版されて話題になっているそうです。ぜひ、読みたいと思います。


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核ミサイルが飛んで来たら [戦争]

 いよいよ明日が何かの記念日だということで危機感が高まっています。
良く予言がされるというイルミナティカードによれば、その絵が示すのは横浜に核爆弾がさく裂し、人の影が横浜の赤レンガに焼き付き、人々が逃げ惑う様子が描かれていることです。
解釈としては、神奈川にミサイルが撃ち込まれる、と言うことなのですが、さてどうでしょう。
神奈川には厚木基地、横須賀海軍基地があります。
そこをめがけてくるのかどうか、避難の用意をしておかねば・・・
 副島氏のHPによれば、韓国または日本の米軍基地が攻撃されるのは、来年の四月のことで、日本には核ミサイルは来ないというのですが、根拠は示されていません。
 クリントン当選を予言した方なので、当たるかもしれないし、来年にしても怖いことです。

政府のHPでも、ミサイルの対策を掲示しているそうですが、原発事故の時のことを考えるとあてにならない政府なので見ようとも思いません。
核シェルターが売れているそうですが、欧米の普及率と比較すると日本は1%にも満たないようで、
テレビでは、頑丈なビルなどに逃げる、地下街や地下鉄に避難するように、と言っています。
ある高級ゴルフ場の地下には数十人の会員が避難できるほどの核シェルターがグリーンの下に造成されているそうです。
ただ、本当に核ミサイルだとしたら、そこらじゅう放射能だらけになるのですから、一時期地下へ避難したとしても、地上へ出たら途端に放射能ですから出られなくなりそう。
それに地下街を閉鎖するわけにはいかず、換気しなくてはならず、地上の空気を入れた時点でアウトです。
シミュレーションすると、デパートの地下へ潜った人々は、地下にある食料品を食べつくすのに三日ほどかかったとして、その後はどうするのでしょうか。
水は水道から出たとしても、水源が汚染されたら終わりです。
 日本は列島を原発54基で囲まれています。
稼働していてもしてなくても、そのうち一基にでもミサイルが当たれば日本終了です。
 アメリカからのリベンジが怖くて、ミサイル攻撃はできないそうですが、北さんも破れかぶれになったら何をするかわかりません。
アメリカが先にボカボカと攻撃するのか、あるいは北さんが、一発日本か韓国にお見舞いしてから
始まるのかわかりませんが、どちらにしても日本か韓国はご用心です。
 いくら用心したってヘルメットをかぶったって、やり投げやなぎなたの練習をしたって無駄よ、と
いう場合は、あまり気にしないで、その時まではケセラセラで楽しく暮らすしかないってことでしょうか。
 木村秋則さんが神様と宇宙人から聞いた予言、地球のカレンダーが終わるまで時間がない、ということは、そういうことかもしれません。


悪魔の秘密結社「イルミナティ」の黙示録 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)


地球に生まれたあなたが今すぐしなくてはならないこと


「心」が変われば地球は変わる (扶桑社文庫)


地球に生きるあなたの使命


arizona memorial 真珠湾アリゾナ記念館 [戦争]

When I and my husband went to Hawaii 30 years ago, we were taken to the arizona memorial in the Pearl Harbor by Mr. and Mrs. Harada who were the second Japanese American.
Around the memorial museum ,Mr. Harada told us that he fought against Italian soldiers in Italy.
He fought as an American soldier.
I think that he wanted to be a real American .
While the second world war, most of Japanese Americans in Hawaii were kept in the concentration camp.
In the garden of the memorial museum, there were also weapons ,such as cannons.
We thought about the minds of those Japanese Americans.

Mr. and Mrs. Harada were like our father and mother in Hawaii.
I have been to Hawaii about 8 times since I went to Hawaii University during summer vacation.
But Mr. and Mrs. Harada passed away about ten years ago .
So I hope to visit their grave at the Hawaiian temple in the near future.

以上の英文をWeblio という翻訳サイトで日本語にすると(一瞬でできます)以下のようになりました。
「私と私の夫がおよそ30年前ハワイに行ったとき、我々は第2の日本のアメリカ人であったハラダ夫妻によって真珠湾にarizona記念へ連れて行かれました。

ハラダさんは我々に記念の博物館を案内して、彼がイタリアでイタリアの兵士と戦ったと我々に話しました。
彼は、アメリカの兵士として戦いました。
私は、彼が本当のアメリカ人でありたかったと思います。
第二次世界大戦の間、ハワイの大部分の日本のアメリカ人は強制収容所に置いておかれました。
武器(例えば記念の博物館の庭の大砲)も、ありました。

我々は、それらの日本のアメリカ人の心について考えました。

ハラダ夫妻は、ハワイで父と母らしかったです。
夏休みの間、ハワイ大学に行った時から、私はおよそ8回ハワイに行ったことがありました。
しかし、ハラダ夫妻は、10年前他界しました。
それで、私は近い将来、ハワイの寺院で彼らの墓を訪問することを望みます。」

第三次世界戦争 [戦争]

今の状況は、世界中でイスラム側から世界支配者への反撃が続いているような状態。
戦争とは宣言されてないのですが、あちこちでテロという形の第三次世界戦争が始まっているのかもしれません。

 トルコでは10月から4,5回もテロが起きています。今度は空港でテロが起きてしまいました。
続いてすぐに、バングラデッシュでついにJICAの人が七人も犠牲になってしまいました。

JICAからトルコに派遣され、イスタンブールではない地方都市に滞在して熱心にボランティア活動をしている友人は観光地や商店街など行ける場所が制限され、休日の買い物も不自由になっていると言ってます。
なによりもテロが危険なのですが友人は、10月に120人も殺害されたイスタンブールの現場から一つ手前のバス停で降りたので助かりました。
今回の空港でのテロは避けようもないのですが、またもニアミスというメールが来て、前日に空港を通過していたとか。
彼女は一家で出雲大社を信仰しています。数年前にはご家族親戚一行様9人で出雲への参拝をなされました。だから出雲の神様に守られていると思うのですが、私は彼女の為にさらにサムハラ神社のお守りを持っていってもらいました。
もともと岡山の津山市にあるサムハラ神社のお守りは先の戦争の時、地域の兵士が持参していってみな無事に戦死しないで帰ってきたことで有名です。古くは毛利元就の時代から兵士を守り、戦勝祈願ということで有名のようです。
しかし戦死したくないとはけしからんという当時の政府により焼失され、今は小さな祠があるだけのようです。
女優の浜木綿子さん(先の猿之助の元妻で香川照之の母)は舞台で上から大きな照明が落ちてきたときに、サムハラのお守りを身につけていたのでスレスレの所で無事だったそうです。

あと半年、友人が無事で帰国されることを信じております。


茨城県阿見町の予科練平和記念館 [戦争]

6月7日、東京在住の叔母、77歳に誘われて、土浦の叔父を訪ねてきました。
叔父は亡き父の4歳下で84歳です。
84歳の叔父を訪問するといったら、大体のイメージとして病床に横たわる叔父、あるいは元気なら、ソファか籐いすでくつろいでいる叔父を訪ねて、お茶のみ話しをしてくる、というイメージが湧くかと思いますが、あにはからんや!

84歳の叔父は、駅に車を運転して迎えに来てくれて、案内してくれたのです。
叔母は、運転を心配して、気をつけてね、と強調していましたが、私はこうなったらまな板の上の鯉、
安心して乗車しておりました。

当初、昼食後は日立海浜公園も案内してくれるはずでしたが、大雨の後なので雨もまだぱらついているし、
1時間もかかるし、とパスしていただき、目的の予科練記念館にドライブしていただきました。

10年前にも今は陸上自衛隊の基地になっている霞ヶ浦の予科練跡地を叔父に案内してもらったことがあり、
亡き父が海軍予科練少年兵として訓練を受けていた場所だけあって感慨深いものでした。

当時は木造の兵舎跡に、少年兵や特攻兵の手紙、遺書、写真、日章旗、記念の品々が展示され、外の庭にはゼロ戦の飛行機が残されていました。

ところが今回も自衛隊の門に車で行くと門番の兵士が今度は新しく記念館ができたので、入口が違うというのです。
そこでUターンして、5分ほど走ると、立派な鉄筋コンクリートの美術館のような建造物が見えて、すぐに
それとわかった次第。
立派で大きな内部には展示物はもちろん、短編映画を上映する小部屋や、当時の食堂の再現などなかなか充実した内容です。
4年半前に建築されたという記念館の中は詳しい説明をしてくださるガイドさんもいて理解が深まり、勉強になりました。
空襲を体験できる映画上映というのはパスして、特攻隊についての映画を見ました。10分ほどです。

人間魚雷、回天の模型もあり、テレビドラマで使われたというのですが、内部が輪切りになっていて覗くことができます。小さな椅子の傍に入ったら中からは出られないハッチがあり、怖ろしいものでした。

ガイドさんの説明によれば、回天は、185発、つまり185人が発射されたのですが、敵艦に命中したのは、たった5発。そのほかは、海に落ちたり、海岸に落ちたりしたそうです。

しかし、海に落ちたからといって、脱出することは不可能な設計になっているので、そのまま中で窒息か
餓死するしかないのです。これを考えた人は悪魔か、です。
185人の精鋭はすべて予科練出身だそうです。
予科練は航空工学を学んでいますので、敵艦との距離を測り、何秒で当たるかを計測できるので選抜されたそうです。優秀な若者を185名も自国が殺したわけです。

30年も前にドイツ旅行をして、ミュンヘン郊外のダッハウにあるユダヤ人強制収容所を見学して、
ガス室の中を外から覗いた時と同様の恐ろしさを感じました。

戦争とは、戦争に行かない支配者によって敵国だけではなく、若い優秀な国民が殺されるという狂気ではないか、と思います。
支配者は行けという命令を出すだけで、自分は官邸か豪邸でのんびりとコーヒーなど飲んでいるわけです。

そのほかにも、当時の予科練の訓練の過酷さを知り、ケツが腐るほどバットで殴られる、といった父達の苦労が少しだけでも理解できたような気がします。

日本軍の中で横行していた部下をイジメ倒す伝統は、絶対に継承してはなりませんね。






大空のサムライ・完結篇―撃墜王との対話 (光人社NF文庫)


大空のサムライ(上) 死闘の果てに悔いなし (講談社プラスアルファ文庫)


知られざる坂井三郎: 「大空のサムライ」の戦後 (WW SELECTION)


父、坂井三郎-「大空のサムライ」が娘に遺した生き方-


南京大虐殺と慰安婦問題 [戦争]

阿修羅の掲示板より、「南京大虐殺はあったのか」

<イラクが大量破壊兵器持ってるぞ、って話は、ガセでしたね。
ガセネタ由来のイラク侵略、虐殺の片棒担ぎましたね。>

 確かに日本もイラク攻撃の片棒を担いだのだけれど、今度はその矛先が日本に向かってきそうだ。
中国韓国アメリカの日本包囲網が徐々にできつつある。
その包囲網を強化させるのが、安倍君の靖国参拝とか百田くんの発言とかだ。

そのうち、なんか理由をつけて、いや理由などなくとも、ガセでもなんても日本を攻撃してくるかもしれない。
今、中国、韓国がアメリカを味方につけて、70年前の戦争をネタに日本は悪党だという世界的な世論を
作っている。
グレンデールにわざわざ慰安婦の銅像を造ったり、フランスでも日本の戦時中の非道行為だという写真展をしたりしている。慰安婦像はアメリカにもう三カ所だそうで、州によっては、日本海を東海と地図に表記することを議決したりしている。
グレンデール市では、韓国系アメリカ人が一万5千人に対して日系人は100人程度なので、肩身が狭いどころかイジメもあるそうだ。
日本は戦後70年、中国と韓国に謝罪を繰り返し、賠償金、補償金を払い続け、ODAで援助し続けたあげくがこれだ。
南京虐殺が大なり小なりあったとしても、謝罪し、賠償し続けてきた日本だが、「なかった」というような発言で、謝罪と賠償が無駄になり、敵意を煽る。
しかも、韓国や中国では、自国が日本の賠償金でかなりの部分、復興してきたことを国民に知らされていない。
ただ、敵意を煽る教育をしているだけだから、ほとんどの国民は日本人など悪魔だからやっつけて当然と思っている。
日本はこれから世界中を敵に回しそうで四面楚歌。
もうずっと前から、アメリカは次の戦争はアジアで、と計画しているそうだから、日本が周囲からイラクのように攻められてしまってもおかしくはない。
 アメリカは日本と韓国中国が戦争すると、漁夫の利を獲る。
仲裁をする振りをして、日本海の油田やら、資源を奪っていくのは想定内のこと。

いったい日本が戦場となってしまったら、どこへ逃げたらいいのか。
テレビで戦争から逃げた難民のテント生活を見ながら、関係ないと思っていると、明日は我が身となるかもしれない。

特攻隊とは、 [戦争]

 戦争中に特攻隊として志願し、昭和20年の5月に散華した藤井一という茨城県出身の中尉の遺書、という
映像が印象的です。
 彼は特攻隊を指導する中隊長の立場でした。
しかし、部下を指導して特攻させるばかりの自分を情けなく感じ、自ら特攻を志願します。
しかし、家庭もあり、二児もいる彼は二度も拒絶されます。
 妻ももちろん、彼を引き留めました。
けれども、彼の性格を知っている妻は、留めようがないと思い、それなら夫の後顧の憂いがないように、と
荒川から、3歳と一切の幼い娘らを連れて入水自殺したのです。
 藤井氏は、三度目で、ようやく志願が認められました。
そして、終戦の三ヶ月前に特攻して、華と散ったのでした。

 どうぞ、ご覧ください。

 http://www.youtube.com/watch?v=RCl2QS1RfuY&feature=player_detailpage

 英国の作家、H.G.Wells は、「宇宙戦争」などのSF小説で有名ですが、当時、日本の参戦を高く評価していました。
日本は、欧米列強の植民地となっていたアジア諸国を欧米から解放した。
その功績は歴史に残るだろう、と言ったそうです。
日本は戦争責任を問われ、悪の権化みたいに言われていますが、実は世界的に見ると、そういう貢献もあったのだと思われます。
 韓国を始めとして日本は領土を拡大しましたが、アジア各地に学校を建設し、道路を整備し、橋やダムを造ったのは、日本の功績として認めるべきでしょう。
 韓国のチマチョゴリも、実は韓国各地に派遣された女性教師の袴姿を真似たものだそうで、日本が韓国を支配するまでは、長い着物はあっても、チマチョゴリはなかったそうです。



「永遠のゼロ」の原典、「大空のサムライ」と「父、坂井三郎」 [戦争]

一昨日「永遠のゼロ」の原典という戦後のベストセラー、「大空のサムライ」を読んで感動した。
零戦の戦闘者、米のグラマン機を合計60機以上も撃墜し、一機で15機を相手にしても勝利した坂井さんの戦記、ガダルカナル、硫黄島、生きるか死ぬかの戦いは壮絶。
 我が父親が行っていた霞ヶ浦海軍航空隊で、坂井氏も飛行訓練を行った。
私は五歳で父親と別れたので、当時のことなど全く聞くことはできなかったのだが、坂井氏が「大空のサムライ」で霞ヶ浦の兵舎や講堂の様子、飛行訓練の様子を事細かに書いてくれたので良く理解することができた。
 始めての飛行訓練は、先輩が前に乗り、後に新兵が乗って連動する操縦桿を握る。
先輩の操縦の手つきを握って覚えるのだが、先輩が手を放すと、新兵が操縦することになる。
まさにドキドキの様子が坂井氏の簡潔な文章でわかりやすい。

また、米軍のグラマン戦闘機とたった一人で闘った場面なども、左右に旋回、急上昇、急降下、後から銃撃されたときは、左に旋回すると、すぐ右手をその米軍機が通り過ぎる。
ついに雲の中に入って逃げるとか、ハラハラドキドキ。
少女の頃にはまったく戦闘など興味がなかったのだが、昔、少年らが戦争ごっこしたりしたのは、このハラハラドキドキが面白かったのか、とわかった。

 戦争は殺し合いだが、相手を殺さなければ自分が殺されるとなると仕方のない場面もあるし、飛行機での
戦闘の場合は、対面ではないので、一種のスポーツのようで悲惨さは少ない。
それでも、坂井氏は敵機の中で米兵が負傷し血を流しているのを見ると、気の毒だからと、もう一発銃撃して、敵機が煙をあげて海の中に落ちる所まで見届けた。
 朝食で笑顔で話した同僚の兵士が一緒に飛び立ち、夕食の時はもういない、ということが当たり前の戦争だった。

 昨日は図書館で坂井氏の娘、坂井スマート道子さんが書いた「父、坂井三郎」を借りてきて読んだ。
日常生活でも、歩く時も車の時も、前後左右上下に注意、とか、机の周囲はコックピットのよう、
とか危機管理に大変勉強になった。
朝起きたときは、「今日も起きられたことに感謝します。今日ももりもり働きます。」と大声でいう。
朝坂井氏を送り出す時は、必ず笑顔で送り出す。
いつ死ぬかわからないからだ。
戦後になり、坂井氏を銃撃したアメリカ人と戦後出会って笑顔で握手したこと、
坂井氏の娘が米陸軍兵士と結婚したこと、結婚したときから武士の娘らしく、アメリカでも懐剣を
持たせていること、(アメリカ人はベッドの傍に拳銃を置いておくくらいだから平気なのかも)
アメリカの米軍基地へ行って成る程と感心したこと、実に面白いです。
2000年に84歳で逝去。

 彼こそが本当のラストサムライかもしれない。





大空のサムライ―かえらざる零戦隊 (光人社NF文庫)


父、坂井三郎-「大空のサムライ」が娘に遺した生き方-


父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方