頼朝と義経 [社会情勢]

15日から17日まで三日連続でお休みを取りました。土日を含めると五連休です。
若かったら、ディズニーランドとかUSJとかへ行ったかもしれませんが、まだ寒いし、どこへも行く気がしなくて、したことは掃除片づけ洗濯と近場での買い物、そして確定申告のためのレシート整理と車の整備。車はサイドブレーキが緩くなっていたのでオートバックスで締めてもらいました。

平日は毎日仕事で出かけているので、家にいられること自体が幸せです。
しかし、テレビをつけていると、北の隣国のことばかりでうんざりするほどの報道。
思えば、千年前にも日本で似たようなことがありました。
義経は将軍の兄のために懸命に戦い、なんとか兄に認めてもらおうと頑張っていました。
が、兄は疑心暗鬼の塊で、義経がヒヨドリ越えの戦いぶりなどほめてもらいたくて鎌倉の兄に会いに来ても、藤沢の腰越に50日もとどめ置き、面会を許さなかったのでした。
その後、頼朝は義経を、東北の岩手、平泉に追いやりました。
平泉では藤原御三家に可愛がられていたのですが、また頼朝は東北から挙兵してくるのではないかと
疑心暗鬼で藤原氏に銘じて義経を殺させたのでした。
(北の国が暗殺をしたとすれば、同じようなことでした)
しかし、そこから日本の史実には疑惑が持ち上がります。
義経を可愛がっていた藤原氏が身代わりの兵士の首をはねて鎌倉へ届け、(その首は暑い夏に二か月もかけて届けたので腐敗していて顔の判別ができなかったとか)本物の義経を家来9人とともに北海道へ逃がしたという説があります。
そのために、青森にも義経らが泊まったという家、義経が船で北海道へ渡ったという岬、北海道には何か所か義経を記念した寺や秘蹟があります。
更には、北海道から大陸へ渡り、モンゴルへ行って、ジンギスカンになったという壮大なロマンの伝説があります。
残念ながら、今回の事件ではそんなロマンどころか、すべてがモニターカメラで中継され、逃げる暇さえなかったようです。
それどころか世界中どこへいっても全ての人の行動、動向は携帯などによって把握されているのです。
権力を握った人間のすることは、千年前も今もあまり変わりなく、世界のあちこちではテロや戦争が勃発し、科学は進歩しても人間の中身はあまり進歩してないようです。
成吉思汗の秘密 新装版 (光文社文庫)


成吉思汗の秘密


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