原発近くで究極のひきこもり青年 [原発事故]

最近、阿修羅の掲示板にはまってしまって、あれこれ見ていると深夜どころか朝方になってしまいます。
 その阿修羅の掲示板で、
 原発ー鼻血ーで検索すると、鼻血の掲示板があり、私の「セシウムで汚染されたかもしれない」症状と似た人がいたので、掲示板でやりとりして、食べ物や薬のアドバイスをしたりしました。
鼻血コーナーの最後のほうにやりとりがありますので、お時間がおありのかたはご覧ください。

 その女性は私よりも症状が重く、皮膚にまできて、頭痛もあるようなので、お気の毒なのですが、解毒剤のヘパリーゼ(こんなに宣伝したら、ヘパリーゼ一年分プレゼントしてもらってもいいよね)とか味噌などで早く治るといいと思います。
 そのコーナーで発見した究極のひきこもり青年は、原発から10キロ以内の浪江町に一人でいます。
避難所へはめんどくさいし、スカパーが見られなくなるので行かない、とか。
死んでも誰も悲しまないからいいんだ、というのです。
 ほかの人たちは、ウソだろと信じません。
だったら、証拠の写真を出せ、というと、青年は外に出て、浪江町と住所が書かれた電柱の写真に自分の
メモを書いて貼り付けたのを出します。
すると、びっくりした人たちは疑ってゴメン、バカ、お前避難しろよ、と言うのです。
掲示板の無名の人々が「お前が死んだら、俺たちが悲しむよ」といいます。
(なんと優しい)
青年はそのほかに歩いて、無人のスーパーや野良犬の写真をアップしますが、人々は、そんなヒマがあったら
避難しろ、と言うのです。

 それが4月3日の時点のことですが、さて、その後、彼は避難したのでしょうか。
気になるところです。

 80歳のおばあさんが、なれた家にいたい、というのはわかります。
ガンになるとしても、100歳くらいだとしたら、もう天国にいるかもしれないのです。

 でも、30歳くらいの青年はこれからの人生ですから、避難したほうがいいのでは、と思いますね。

 http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1411.html



 

欧米の思想家が警告を発しています [原発事故]

井口和基氏のブログから転載させていただきます・・・・・

フランスの経済思想家、ジャック・アタリ氏は
は米紙への寄稿で福島原発事故が「地域の問題から地球規模の危機になりつつある」と警告。「地球汚染を防ぐため、今すぐ国際社会が日本に介入すべきだ」と断じた。当初は日本支援を前面に打ち出していた各国政府当局者の反応も変わってきた。特に放射性物質への危機感が強い韓国、ロシア、中国など近隣諸国は敏感だ。
もしこのまま状況が悪化し、「水蒸気爆発」を起こせば、世界連合軍が日本に乗り込んで来る。そして、菅直人政府、東電は「第二の東京裁判」を受けることになるはずである。いつそうなってもおかしくはないという緊急事態なのである。

問題は「水蒸気爆発」という意味である。この言葉を見た時も、私が一番最初に書いたように、受け取る側の人の頭の出来次第で、その意味あいがまったく異なってしまうのである。これをもっとも正確に描写してもっとも科学的に説明して来たのが京大原子炉研の小出博士である。

まあ、簡単に言えば、「水蒸気爆発は核爆発と同じだ」ということである。核爆弾は内部の核燃料を爆薬で一気にメルトダウン(溶融)させ爆発させるものであるが、水蒸気爆発とは、原発内部ですでにメルトダウン(溶融)した核物質が周りの水といっしょに大爆発するというものである。爆発までのプロセスがちょっと違うだけのことである。そして中に溶融物が残れば、何度でも同じことを繰り返す。

問題は、核爆弾は爆弾だから飛行機に乗せたり、ミサイルに詰め込む為に、積載量に上限があるのだが、原発の場合は、内部に放置できるために、埋蔵量に上限がないということである。発電量に応じて好きなだけ内部に核物質を入れておくことができるわけである。それを細長い筒の中に入れておいて、メルトダウンしないように少しずつ離ればなれにしておいたのである。

ところが、その容器がすでに冷却電力が止まって発熱した為に溶けてしまい、核燃料が下に蓄積して、溜まりに溜まっているのである。その量は想像を絶する量である、核ミサイルの比ではない、と小出博士は見積もっているのである。そして、もし「その時」がくれば、西日本はおろか、日本列島全体も危ないぞとずっと前に警告して来ているのである。「その時」は覚悟を決めなくてはならないと(要するに、日本を出ろということ)。それほどの量がもともと核燃料として原発1機に存在しているのである。

こうなると、さすがに欧米軍でもうかつには近づけなくなるだろう。もはや救いようがないのである。


水蒸気爆発(核爆発)が起こると日本中ダメ・・・そして2012年のマヤ歴終末になるのかも [原発事故]

今、発売されている週刊新潮に小出博士の説が掲載されているそうです。
阿修羅の記事から転載します。
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・危惧される最悪のシナリオは、水蒸気爆発により放射性物質が大量に飛散すること。その場合はチェルノブイリと同レベルの「地球被曝」となる。

・1号機については、注水続行中の今も圧力容器内の温度が下がっていないこと、及び、クロル38が検出されたという発表から、再臨界が起っている可能性があると考える。クロル38の検出が事実なら、制御棒がうまく機能せず臨界が起こっているということ。

・2号機は汚染水漏洩が続いているが、高濃度汚染水がそれを止める作業を難しくしている。

・3号機はプルトニウムを使用するMOX燃料が使われており、これが漏れると大変。

・4号機は使用済み燃料プールが損傷している可能性があり、そうであると水を入れても漏れてしまう。監視が必要。

・燃料棒についてはペレットの全部ではなく一部が溶融していると考えるが、もし燃料棒が一気に落ちると圧力容器の底の水が急激に熱せられて水蒸気爆発が起こる。そうなると格納容器さえ破壊される可能性も。1号機は前述の通り稼働中の疑いがあり、これが爆発すると放出される放射性物質の量は他よりもとても多くなる。

・放射性物質の飛散範囲は風次第だが地球規模になる。東京でも高濃度汚染が起こる危険がある。

・爆発すれば、プルトニウムやストロンチウムなどの不揮発性の放射性物質もそれなりの距離まで飛ぶ。ストロンチウムは半減期が長く、また骨に蓄積されやすく長期的に有害。

・もし1~3号機のいずれかでこれが起こると作業員全員退避となり、他の号機の冷却が不可能となり、連鎖的なメルトダウンにつながる恐れがある。その場合は超多量の放射性物質が漏れることになる。
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以上、転載終わり

 早くパスポートの期限を確認しなくては、・・・そして、家具を処分したりしなくては、
と思います。それも半年以内に、です。

ジョン・ウェインはなぜ死んだか 広瀬隆 [原発事故]

 今日は用事があって東京の目白まで出かけた。
 時間が少しあったので、駅からすぐの学習院の中を見学し、学生食堂で若者らと一緒にランチをいただいた。
 ちょうどお昼時、新1年生で混雑するなか、一緒に行列し、カレーライス、260円也で食べた。
昔の学食のイメージから考えて期待してなかったのだが、なかなかおいしくて全部平らげてしまった。
 ちゃんと野菜やお肉の具も入っている。
学生で満杯の学生食堂は大変な騒々しさ。
 わいわいガヤガヤ、と大騒ぎだった。
しかし、その中でカレーライスを食べて、なんだか若者の元気を分けてもらったようで楽しかった。

 正門のところに学内の地図があり、見ると「血洗の池」というのがある。
あれれ、同じ名前の池が長篠の戦いの跡地、設楽が原の田畑の中にもあったぞ、と思い出す。

 戦国時代ににわか兵士の百姓が、敵のクビを取り、それを大将のところに持参するとボーナスがもらえるので
取った首の血を洗った池だと聞いた。
 すると、なんとおそれおおくも数多くの皇室の方々が学ばれた学習院の中にも、そんな血洗の池があったとは!
 驚いて帰りにちらりと見学すると、緑豊かな草木に囲まれた静かな池だった。
大きくもなく、小さくもない、下に降りる階段からは、学生らが散歩して上がってくるのが見えた。

 柔道の館は伝統があるらしく古めかしい建物で、その横にはテニスコートもあり、楽しそうな若者が行き交う。
まぶしい日差しの中、放射能の恐れがなかったら、どんなに良いかと想像する。

 目白駅には降りたのは初めてのこと、すぐに帰るのは勿体ない、と駅周辺を見れば、ブックオフがあった。
 
 広瀬隆さんの古い文庫本「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」を発見し、帰りの電車でと思ったけれど
心地よく寝てしまったので、本厚木に降りてから、モスバーガーの中で珈琲を飲みながら読んだ。

 「アメリカは、1951年、52年、53年と立て続けにネバダ砂漠で核実験をした。
それも80回以上も。
その結果、ユタ州やアリゾナ州、ネバダ州など、ラスベガスの近くで大量の死の灰を降らせた。
1954年に「征服者」という映画のロケで、その死の灰がある砂漠に行った俳優やエキストラ、スタッフらは
総勢1200人、
三ヶ月も屋外、つまり砂漠の上で馬に乗ったりしながら、粉塵を浴びつつ、撮影をした。
内容は、モンゴルのジンギスカンの話だった。
主演はジョン・ウェイン、スーザン・ヘイワード。

 その結果、有名な俳優らは、以後10年から20年の間にガンや白血病を患って、40代、50代の若さで亡くなってしまった。エキストラの死亡も多く、それまではガンの死亡を見たことのない現地の葬儀社が以来
ほとんどの死亡者がガンで亡くなっていることに驚くほどだった。
ゲイリー・クーパー、ジョン・ウェイン、スティーブ・マックイーン、ロック・ハドソン、ロバート・テイラー、
ジョン・フォード、スーザン・ヘイワード、ユル・ブリンナー
名のある俳優女優らが、その映画ではなくとも、砂漠でロケをしたりした結果、ガンになり亡くなった。
当時はとにかく西部劇が流行だった。
 
 おまけにその砂漠からハリウッドに、60トンもの砂を運んできて造成の為か映画の為か、まいたのだそうだ。

 だから、砂漠に行かないでもハリウッドで活躍していたスターもガンで死んでいる。
 ウォルト・ディズニーでさえ、若くしてガンで亡くなっている。

すさまじい放射能物質の恐ろしさがわかる本だった。

 今日も小出先生が、テレビや新聞には出ない本当のお話をしてくれています。

 後半だけでもお聴きください。

 http://www.youtube.com/watch?v=ILpewYlSlME

 

菊池洋一さんの講演ー浜岡はすぐに止めないと日本中やばい [原発事故]

 福島原発と東海原発の建設に関わった技術者の菊池さんは、途中から原発反対運動者に変わりました。
建設がいかにいい加減だったか、原発周辺には奇形児が多い、ということを暴露しています。
 
 確かに、以前、原発周辺の人に聞いたことがありました。
原発で働いている人の家は立派だけど、子供に障害児が多いようだ、と控えめに話していました。

 菊池さんのお話ですと障害児どころか、生まれる前に奇形児で死産のケースが多いようです。
 チェルノブイリのナターシャさんも、原発事故があったとき、6歳だったそうですが、友達が多く死んでいる、
結婚して子供を産んでいるが異常が多い、と話していました。

 菊池さんのお話をお聞きください。
 地熱発電の可能性についても大事なことを話しています。

 http://www.youtube.com/watch?v=Rbj-vPouRxg



ほんまでっか、の武田邦彦先生 [原発事故]

 面白番組、ほんまでっかにも登場の武田先生がわかりやすく放射能被爆について、
子供を大事に、と話しておられます。
学校の校庭の放射線量に要注意、五月まで開校は延期でいいのじゃないか、という
お話です。しかし、
爆発はないだろう、という割合に楽観的な見方ですので、ちょっとは安心です。
 桜も満開、公園では楽しそうに子供らが遊んでいます。
子供達が甲状腺ガンや白血病にならないように、と願います。

 http://g2o.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-9a5a.html

 

福島原発は再臨界していそう、もし爆発したら、日本中危ないようです [原発事故]

小出裕章先生のお話、最新の原発の状況を岩上安身氏がインタビューしています。
ぜひ、ご覧ください。
京大の原子炉研究所の中、結構古いお部屋ですね。
でも机とか木製で使い心地が良さそう。

 http://www.youtube.com/watch?v=yVbRyLyT_I0

 

京大の小出先生のお話ー再臨界の恐れ [原発事故]


  http://www.youtube.com/watch?v=JT2YkREVTNA

 ラジオの放送がyoutube で聞くことができます。



地震被害にあった女の子の話~千と千尋の始まり [原発事故]

 ネットで検索していると、徹子の部屋に木村弓さん(「いつも何度でも」の作者)が出た時のことを書いている記事に出会いました。
 今回の東日本大震災のレクイエムにピタリと思ったとおり、地震に出会った女の子リンについてのお話を音楽にしたのでした。転載させていただきます。
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そもそも曲を作ったきっかけと言うのが…(ちょっとうろ覚え)
たしか作者の木村弓さんが宮崎監督からお手紙をいただいて、
そのときに次の作品の話があって、その話のために書いた
と言うことでした。

作品は…今ちょっと調べたところ
「煙突描きのリン」と言うお話で、地震被害にあった
東京を舞台に、リンという主人公の女の子を描いた
物語だそうです。
そういわれると、ちょっと歌詞も納得。

ちなみに煙突描きのリンは公開されることなく、
じゃあと言うことで別の作品(千と千尋)に
採用されて、この曲が世に出たのだそうです
 (私にはリンがあの世を見てきた臨死体験を描いた映画に思えます)
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呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも心躍る 夢を見たい
 かなしみは 数えきれないけれど
 その向こうできっと あなたに会える

 繰り返すあやまちの そのたび ひとは
 ただ青い空の 青さを知る
 果てしなく 道は続いて見えるけれど
 この両手は 光を抱ける

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる
 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ

 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー

 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも何度でも 夢を描こう
 かなしみの数を 言い尽くすより
 同じくちびるで そっとうたおう

 閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される

 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ
 海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに
 わたしのなかに
 見つけられたから

 ララランランラランラーーーランランララン
 ララララランランララランラララランラララララ
 ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
 ルルルルルンルルルーンルルルー 


いわき市の友人や親戚 [原発事故]

この頃、南からの風が吹き、富士山も真っ白できれい、青空が晴れ渡っている。
体調も回復し、感謝です。

 生まれ育ったいわき市には小学校からの親友がいて、酪農をしている。
長年夫婦で早朝4時から夜の10時まで働いてきた。
 晴天の霹靂の大震災、彼女とご主人は、家にいて牛の世話をすることを選択している。
地震の翌日からもう業者は牛乳を集荷に来ないので捨てているが、搾乳と餌やりの仕事は変わらない。
二週間、断水していたので肉体労働の仕事をしているのにお風呂に入れなかった。

やっと断水が直った時、電話で水のありがたさを話していた。
普通の生活、普通に風呂に入れるのはいいね、と。
 牛を捨てて避難することはできないし、まあ、40キロと離れていて、風が来ないように原発との間には
高い山が隔てているので、大丈夫かも、と思います。

彼女の姉一家は原発の近く、楢葉町の農家だ。
津波が来たとき、姉さんは海のほうを散歩していた。
大地震が来て、海から津波が襲ってきたとき、走って高台の家に逃げて助かった。
(ラッキーだった)
しかし、翌日の朝9時に避難命令、時間もなく、取るものもとりあえず、着の身着のままで一家四人はいわき市に避難。(政府のやりかたって、せめて数時間の余裕を与えてくれたら良かったのに)

小学校の体育館で四日間を過ごした。
しかし、90歳のおばあちゃんを抱えているので、何かあってはいけないと、白河の親戚まで移動。
ラッキーなことに地震の前日に車のガソリンを満タンにしていたので、自分の車で白河へも移動できた。
やっと親戚宅で入浴。
 しかし、そこも米軍によれば、80キロ以内に入っている危険地帯だ。
白河の親戚は、秋田のお嫁さんの実家へ避難、。
楢葉のご一家は東京の娘一家(新婚さん)のところへタクシーと新幹線で移動した。
新幹線は那須塩原までしか通ってなかったので、白河からはタクシーで移動。

 東京のお嬢さん一家のマンションに一旦落ち着き、都営住宅に申し込む。
運良く当選し、1日に引っ越した。
約3倍の競争率だったとか。
今の都営住宅は、昔のイメージと違って、高層タワーマンションなのです!
駅にも近く、スーパーも近く、公園もあり、と便利な新居に喜んでおられます。

 大きな家や田畑や思い出はあきらめなくてはならないけれど、原発くらいしか無かった田舎暮らしよりは
、ちい散歩もできるし、寅さんの柴又にも近い下町だし、良かったですねー、という気がする。
  なによりも、お姉さんが前向きでプラス志向、ついてる、ついてる、の口癖が、いつもラッキーを招いています。
お嬢さんのマンションにいたときも、近所を散歩して、神社やお寺の多い歴史のあるところ、と
楽しんでいました。

 90歳になって、農村からまさかの東京暮らし、きっとお婆ちゃんも若返って散歩を楽しまれるのではと
思います。

 親戚はほとんどないのですが、唯一の従兄弟夫婦は、原発から40キロ、いわきの駅よりのほうで
海から離れているので被害はなかったのですが、近所の人は自主避難してほとんどいないそうです。
が、近くにある避難所になどは行かないと、広くて居心地の良い自宅でのんびり?暮らしています。
 しかし、やはりこちらも断水が二週間あり、やっと水道が通じてお風呂に入れたときは、嬉しそうな
さっぱりした声が聞こえました。
 長女は郡山で教師、もう新学期の仕事に向かっています。
次女は美容師ですが、いわき市内の避難所の人たちのヘアのシャンプーや手入れを無料でしてボランティアをしているそうで、忙しいようです。

 早く、原発が収束してくれるといいですね。

大前研一の新しい映像を見ると、プルトニウムの爆発までいったとしても、首都圏には及ばないだろう、
広島だって、10キロ、20キロの圏内だったという話しです。
炉心溶融、メルトダウンは既にしているので、これ以上は被害は広がらない、ということのようです。

 それにしても、これからも何万トンという放射能汚染の水を太平洋に流すのですから、当分は魚は食べられません。去年の缶詰以外は。
肉は余り食べない方針なのですが、豆腐ばかりだと飽きるので、豪州産でも食べましょうか。

 野菜、それも神奈川よりも西のほうの野菜を食べるか、中国産のを選んだりして・・・。
野菜不足だったら、九州産の大麦若葉を使っているという青汁を取り寄せて飲めばいいのかもしれないと思っております。
 米も東北の半分でできないとなると、秋からは米不足になるだろうし、またタイ米を食べることになるのかも。
もしくは青汁だけの断食をする良いチャンスかも。
きっと仙人のように元気にやせられると思うのですが・・・
つい、たこ焼きとか好きなので、食べちゃうから無理かもね。