遊行期 [人生論]

 以前にある先生(大学でも教えている50代の男性)が、「今時のワガママな学生に教えるのは大変でしょう」
という問いに対して、「なあに、遊んでいるようなものだよ」と答えられました。
その先生はいい加減に教える方ではなく、熱心なご指導で模範ともなるべき先生なので、
遊びではないのです。
ただ、膨大な見識をもってすれば、それを教えるというのは、知識や知恵を学生にちょっと分け与えるのは
頭脳遊びのようなものなのでしょう。
その問答を聞いて、はっと気がついたのは、仕事に対する考え方です。
仕事だ、仕事だ、と窮屈に考えるから、辛くなり、苦しくなり、面倒になることもあり、心の病になったりも
するのかもしれません。
いっそのこと、切り替えて、遊びに行くと思えば、いくらか楽になる部分もあるのでは、と思います。

 会社に行くのが嫌だ、あの愚痴ばかりいう上司にこきつかわれるなんて、と思うとき、上司から
修行のシャワーを受けにいく、滝修行の代わりだ、と思うといい、というのが斉藤一人さんの考えですが、
それも遊びの一貫だと思えば楽なのかも知れません。

 歯医者さんも、毎日毎日、患者の口の中を見るのはうんざりだ、と思うときもあるかもしれないし、
肛門科の先生だって、産婦人科の先生だって、毎日毎日、患者の??ばかり見るのは面倒だ、と思うかもしれません。

 工場に行って、毎日同じ作業を繰り返す、いやだなあ、と思うときもあるかもしれません。

 スーパーのレジに行って、無言で通り過ぎる客に何度も「ありがとうございます」といわなくてはならない、
めんどくさい、と思うこともあるかもしれません。
レジの人に「ありがとう」というお客は少ないのです。
 それも愉快な遊び、無言ゲームの一つだと思うといいのかもしれません。
 
 どんな仕事も嫌々ながらお金の為に行く、のではなく、遊びとして仕事をするんだけど、なんだか月末になると
お金が振り込まれる、と考えを切り替えるといいのかな、と思います。
 
桐島洋子と五木寛之に同じ「林住期」という本があります。
インドの仏典「マヌ法典」によれば、人生は四つの期間に分けられるとか。

「学生期(がくしょうき)」・・社会で生きるすべを学ぶ時期

「家住期(かじゅうき)」・・・大人になり結婚し子育てをし、家族を養い、仕事に燃える

「林住期(りんじゅうき)」・・子育ても終わりリタイアして、人生を振り返る

「遊行期(ゆぎょうき)」・・・人生最後の締めくくりで子供の心に還る時期

青春を過ぎ、朱夏を過ぎ、白秋を過ぎ、玄冬に到る・・「玄冬」が遊行期となる。

この世に生を受けた人間は、ちゃんと世を去ってこそ人生である。

「玄冬」はただ薄暗く淋しい冬枯れの季節ではない・・・・玄とは玄米の玄であり、黒いと言う意味と
同時に「幽玄の世界に回帰」する事を意味する。

「遊行」とは・・・如何なるものか?死に場所を求めて当ても無く彷徨う時期ではない・・・
子供の頃に戻り遊び疲れるまで遊ぶ時期なのである。

遊びをせんとや生まれけむ

戯れせんとや生まれけむ

遊ぶ子供の声聞けば

わが身さえこそゆるがるれ

五木寛之氏は、林住期を50~75歳と長く考えていますが、私は四つの時期を20年ごとに区切ると
ちょうどいいのではないか、と思います。
すなわち、20歳までが学生期、40歳までが家住期、60歳までが林住期、80歳までが遊行期です。
最初の先生は50代ですが、既に60歳過ぎの遊行期に入っておられるのでは、と思いました。
そういえば、藤沢には遊行通りがあり、遊行寺があります。


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