きっこさん、大江健三郎氏、瀬戸内寂聴さんの言葉 [原発]

「きっこのブログ」より引用させていただきます。
・・・「節電要請」をした7月2日から16日までの関電管内の最大需要は2301万KW、猛暑となった17日の最大需要は2540万KWだったってことが分かる。そして、この最大需要の日でも10%以上の余力があり、118万KWの大飯原発3号機を再稼働しなくても9%の余力があったと伝えてる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

‥‥そんなワケで、この記事を読めば分かるように、少なくとも「原発を再稼働しないと電力不足になる」という話は嘘だったワケで、そうじゃなければ、118万KWの大飯原発3号機の再稼働に合わせて合計300万KWの火力6基を止めるなんてことはしなかったハズだ。一部の御用ジャーナリストは、「火力を止めたのは、電力需要が逼迫(ひっぱく)した時に、すぐに再稼働して発電できる火力を温存しておくためだ」などと、まるで電力会社の広報みたいなセリフを平然とノタマッてたけど、その電力会社の広報自身が「火力を停止したのは原発再稼働によって電力が余ったため」と回答してる。
・・・・・
更に「カナダで日本語」より、
大江健三郎氏と瀬戸内寂聴氏の演説から抜粋させていただきます。
「そして私は、750万を超える署名を持って、首相官邸に行き、そのグループにも連れて行ってもらいもしました。そして私たちは官房長官に、750万の署名をお渡ししたんですが、それに対する官房長官の答えは、首相の言うことを聞いてくださいと言うことでした。そして翌週私はその首相の大飯原発を再稼働するという決意をしたという声明を聞くことになりました。そしてげんに大飯原発が再稼働され続けています。私は、正直、落ち込んでしまいました。そして、小説家ですから、自分の一生尊敬し続けてきた作家の仕事を読んでいました。皆さんは、中野重治という作家をご存じでしょうが、私たちの父親の世代と、私たちの世代でもっとも大きい作家で、もっとも優れた人間が誰だと言えばそれが中野重治さんです。私は彼の全集を読みながら、今、私が77歳なんですが、その年齢で、中野さんが亡くなられたと言うことを思いました。彼は一生じつに多くの仕事をされた方であります。その中野さんの初期の作品に「春さきの風」という短編があります。それは戦前の民主主義というものがかけらも無い時代の小説です。中野さんがモデルですが、勇敢な働きをしています。そして彼は逮捕されました。逮捕されると同時に、奥さんも留置場に入れられました。そして生まれて8ヶ月の赤ん坊も、そこへ連れてゆくほか無いんです。一人の作家としてずっと活動してきた、貧しい家です。誰も子どもを見てくれるという人は、無いわけなんです。そこで、奥様は赤ん坊も一緒に監獄へ入りました。そこへ保護檻というのですがそれは女こどもを監獄に入れて保護するという意味の場所です。冬の盛りで、非常に寒くて赤ん坊が病気になりました。そして赤ん坊は死にました。冬の盛り、ずっと監獄に居る夫に向かって、作家に向かってその奥さんは、一人家に閉じこもって手紙を書きます。その奥さんの手紙を書くところを引用します。 《もはや春かぜであった。それは連日連夜大東京の空へ砂と煤煙とを捲き上げた。風の音のなかで母親は死んだ赤ん坊のことを考えた。母親は手紙の最後の行を書いた。「わたしらは侮辱のなかで生きています。」それから母親は眠った。》 なによりこの母親の言葉が私を打ちますのは、原発大事故のなお続くなかで、大飯原発を再稼働させた。さらに再稼働を広げてゆこうとしている政府に、わたしらは今、自分が侮辱されていると感じるからであります。わたしらは侮辱の中に生きています。そして今まさにその思いを抱いて、ここに集まっているわけであります。わたしらはもう十数万人にのぼる私たちは、侮辱のなかで生きてゆくほか無いのか。あるいはもっと、次の原発の大爆発によって侮辱のなか死ぬほか無いのか。そういうことがあってはならない。それは、その体制は打ち破らなければならないと、私も思います。そして、私たちは政府の目論見を打ち倒さなければならない。そしてそれは確実に打ち倒しうるし、我々は原発の恐怖と侮辱というものから外に出て、自由に生きていくことが出来るだろうと、そのことを私は今、皆さまを前にして心から信じます。

瀬戸内寂聴です。今日ここでこんなにたくさんの日本人に逢えてとても嬉しいです。先程大江さんは77歳とおっしゃいました。私はこの5月で満90歳になりました。おそらくこの中にたくさんの方がいらっしゃいますけれども、私よりも年上の方いらっしゃらないと思います。もし居たら手をあげてください。たぶん居ないと思います。ええもうこの歳になりますと、もう死ぬことしか考えておりません。今夜死ぬか明日死ぬかと思っております。今日私がこちらへ来ると言いましたら、もう足手まといだから、危ないから90のおばあさんは家で寝てろって注意してくれた人がありました。しかし私は冥土のみやげに皆さんのこんなにたくさん集まってる姿を見たかったのです。それでやって来ました。(拍手)私はいろんな小説を書いて来ましたけれども。ちょうど100年前に日本に起こった大逆事件とかそれから女性の政党の運動などを書いております。それは昨年が100年なんですけれども、どこもマスコミではそれを取りあげませんでした。ですから私は非常に情けないと思ってまた改めてそれを書き直したりしております。そうするとたくさんの人が読んでくれました。ただ、新聞に書いたものですから、今の若い人は新聞を読みません。それで読んでくれないのでそれをまた本にいたしました。なぜそういうことをしつこくするかと言いますと、100年前にやはり日本がたいへん人間の自由を奪われた時代がありました。そして自分のためじゃ無くって人類のために人のために国民のためになにか新しい政治をしようとしたら全部捕まって何もできない時代がありました。それを冬の時代と申します。その冬の時代を経て現在があるのですけれども、今私たちは毎日なに不自由なく暮らしておりますけれども、これは全部過去の人たちがさまざまな苦労をしてさまざまな(権力に)逆らって、そして人間の自由を守って来たから今日があるのだと思います。私たちのこの集まりを首相が聞くことをしない、あるいはこの中に一人でも国会議員がいらしたら良いんですけれども、たぶん居ないんじゃ無いでしょうか。そういう気持ちがあればですね、私たちの声をもっと聞いてくれると思います。しかし、いくらこういうふうに集まってもですね、私は90年生きてきましたから非常に懐疑的なんですが、これがたちまちですね、原発を止めるとかですね、そういう政府の方向を変えるとかそういうことになるかどうか、判らないという、非常に疑い深い気持ちをもっております。それでも私たちは集まらなければならないんです。なぜならば、私たちは税金を払った日本の国民です。ですから政治に対して言い分があれば、口に出して言って良いんです。体であらわして良いんです。そういうことを今の人たちはあまりにしなくなりすぎました。どうか、皆さんはここに集まってくださっただけで、そういう気持ちをもった人たちだと思いますから、力をあわせてたとえ空しいと思う時があっても、それにめげないで、頑張っていきましょう。(拍手)人間が生きると言うことは、自分以外の人のために、少しでも役に立つか、自分以外の人間をあるいは生きものを幸せにするか、そのために命をいただいてるんだと思います。ですから、これは私たちだけの問題じゃ無くて、みんなの問題であり、国中の問題であり、それは世界に繋がる問題です。ですから、悪いことは止めてくれとたとえ相手が聞かなくても、言い続けましょう。言い続けましょう。今日はこの熱い中を本当にありがとうございましたから信じます。(拍手)しっかりやりつづけましょう。」

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