ねずみ取りのパイドパイパー:ウィーンからフランクフルトへ [不思議系]

かつて、オーストリアのウィーンからドイツのフランクフルトまで貧乏旅行をしたことがあります。
飛行機はロシア=その頃はソ連、のアエロフロートで往復で10万円くらい。
ボロボロの飛行機で椅子のシートベルトは壊れていてしまらない。トイレの便座は木製で劣化していて
ギザギザなので、そっと座らないと皮膚が傷ついてしまう恐れがあった。
何よりも強烈な殺虫剤の匂い=DDTというノミ取り、シラミ取りの匂いが機内に充満していてマスクどころかタオルで口を覆っても匂いは防げないという有様。
 頑張って20万払ってルフトハンザにすればいいのに、と思っても後の祭り。
そんなこんなで、モスクワ経由で夜のウィーンへ。
モスクワ空港は空港内で2時間待ちでしたが、誰かがラジカセで音楽をかけるとすぐに警備員か警官に注意される始末。
 モスクワ経由で一泊の時は乗客はバスでホテル移動ですが、そのホテルは窓が鉄格子で外出はできないと聞いてなかなか厳しいようでした。
臭い中、どうにかウィーンに着くと、空港からホテルまではがっちりした女性のタクシードライバーがちゃんと送り届けてくれて、ベートーヴェンホテルもこじんまりしていたのですが清潔で素敵なホテルで安心して眠れたのでした。
 クリスマスだったので、有名な聖ステファン教会で朝の礼拝に参加すると椅子はなく、大勢の人々が帽子に毛皮のコートを着て立ったまま礼拝参加していて、美しい讃美歌を歌っていました。
 そこから一人でミュンヘン、ザルツブルグ、アウグスブルグ、ハイデルベルグ、フランクフルトとドイツの国鉄DBに乗って一駅に一泊しながら見学して歩くという1週間の予定。
ホテルは全て日本からガイドブックを見てファクスで予約していったので安心でした。
 ナチスドイツが旗を揚げたホフブロイハウスは市庁舎の隣にある大きなビヤホール。
ガラスの長くつの形の容器にビールが入っていて、ウインナーと共に頼みましたが、なんだか飲みにくい、全部は飲めなかったのでした。一人でビアホールに入る女性は珍しくても、誰も気にしないのが海外の良さです。市庁舎の正面には人形がくるくる踊って時刻を知らせる大きな時計があってみんなと一緒に見上げて見物。(チョコレート工場、に出てきたのと同じ)
夜はフロントでコンサートの予定を聞いてその晩に行けるコンサートへ。徒歩で雪道でしたが10分位でミラベル城のコンサートへ行けました。シャンデリアの下、キラキラした室内で弦楽四重奏などが聴けました。その後、数年前のテレビで見ると、そのお城、ミラベル城で模擬結婚式に主演したのは、あの西川史子医師でした。
ミュンヘンからは、有名ではないけれど、アウシュビッツと同等の規模(3万人)のユダヤ人強制収容所は必須として、翌日の朝、タクシーで往復して見学しました。
有刺鉄線の広大な敷地内に保存してあった3段ベッドの木造兵舎やレンガでできたガス室を見学(合掌)
クリスマス休暇のせいか、ドイツ人若者らが粛々と見学していました。
 記念館も見てからタクシーで駅に戻り、午後の列車で次の街ザルツブルグへ行きました。
サウンドオブミュージックの修道院を見学したり、後で思えば、不思議なことがあったのは、そのザルツブルグでした。

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