特攻隊だった亡き父の終焉の地 [供養]

12日の続きですが、染井霊園でお参りした後、巣鴨の駅前の福福まんじゅうというお店でまんじゅうとアイス抹茶入り緑茶をいただきました。おいしかったです。
お店をやって40年というご夫婦、お饅頭を買いにくるお客さんにいちいち丁寧に説明します。明日までなら冷蔵庫、その後は冷凍庫とのこと、何度も繰り返し丁寧に説明するのでお茶を飲んでいる私も覚えました。
上京のついでに、父が最後に住んでいた場所を確認したいと足立区花畑という所まで電車を乗り継いで行ってみました。
私が5歳の時に家を出た父(お婿さんでした)はその後再婚し、東京に住んでいました。
47歳の時に肺ガンになり、日本医大病院で亡くなったのですが、亡くなる二ヶ月前に父の友人の御案内で病院へお見舞いしたことが最後の会話でした。
その前に父が丁寧な地図を書いて東京の叔母に送った地図ですが、叔母がいらないから、と数年前に
送ってくれたのです。
北千住からバスに乗って花畑車庫の終点で降りて5分と地図には書いてあります。
花畑車庫行きというその路線は現在も同じくありました。
数十年前の地図ですから、父が暮らした古いアパートなどありませんでしたが、その辺には
新築の住宅や新しいアパートが数棟並んでいて、この辺だったのだな、と思いました。
昔ながらの家は畳やさん位です。
かつては特攻隊に志願して土浦の海軍兵学校で学んだ父、出撃の直前に終戦となり、帰郷して母と結婚、私が産まれました。
私が育った広くて大きな家を出て都会の片隅で人生を終えた父、ささやかながら、一家の主として幸せだったのでしょう。
近くの綾瀬川の橋からスカイツリーが見えました。
バスの終点が人生の終点となり、そこから天国へ逝くと花畑があるなあ、と思いました。父にとってそこは最も天国に近い場所だったのかもしれません。
すぐそばの綾瀬川からは空に夕焼けの雲がピンク色に染まって見えました。
今はこんなにきれいな天国だよ、と父が見せてくれたような美しい雲でした。
綾瀬川.jpg花畑ピンクの雲.jpg花畑の雲二本1.jpg
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