いわき市の現在 [原発災害]

shinmaiko youth remain.jpg先日の連休に、急に思い立っていわき市まで行ってきました。
というよりも、問題解決の為のお墓参り、ご先祖頼みということだったのですが・・・
行きは高速バス、帰りはスーパーひたち、のとんぼ帰りでした。

いわき駅でレンタカーを借りて墓参りを済ませると、前から確認したかった海岸の様子を見てきました。
お墓に関していえば、初めて五月の連休にお参りしましたが、青い小さな花が墓地一面に咲いていて
まるで小さなお花畑で、野の花の優しさにちょっと感激しました。

 平から向かった新舞子ユースホステルは、かつて二回も泊まったことがあり、海からすぐそばなので
流されたかなと気になっていました。
やはり土台しか残されていなくて、隣に犬と住むお婆ちゃんに伺えば、津波までは営業していたとか。
犬は最初ほえていましたが、私がお婆ちゃんと話し出すと、なんだ友達か、と安心したようで、
座って見ていました。
お婆ちゃんは、大津波が来た時、流されたけれども、木につかまって助かったそうです。
年を取っても体力必要ですね。
ユースホステルは、大盛りのカレーライスと大きな西瓜が夏のご馳走でした。
蚊が多いので、部屋では蚊取り線香を焚いていたことを思い出します。

でもユースのお隣のお婆ちゃんは、二階建ての家をしっかり修理して、今も元気に暮らしています。
海から道路を越してすぐですが、お子さん一家も近くだしと明るく、津波のことは気にしてないようです。

いわき市の海岸にあった喫茶店やレストランは、骨組みだけ残してがらんどうでした。
浜辺のレストランの隣には瓦礫を大量に積み上げている場所もあります。
しかし、海岸の壊れたドライブインやレストランに並んで普通の家が何軒も建っていますが、
ちゃんと修理して普通に住んでいらっしゃるのですから、いわき市の人は明るいし、
たくましいなと思いました。

ウナギが捕れた仁井田浦の料理旅館、なぎさ亭は、看板の文字が取れていました。
昔、子供の頃に家族で行った時、なぎさ亭でウナギをさばいてもらって、浜辺で七輪で焼いて食べたことを
思い出します。初めて見たウナギの料理法、まな板にのせたウナギの頭に釘を刺して、すーっと切り開いていくこと、恐いというよりも美味しかった思い出です。

niidaura nagisatei.jpg

hattachi uminoiwa.jpg

次は久ノ浜です。北よりの海岸で最も被害があったという場所。
海辺の住宅は流されて土台だけになっていて、お宮さんだけが残っていました。

途中でお参りした波立薬師では、社務所に宮司さんがおいでだったので、お話を伺うことができました。
宮司さんが、車にご両親を乗せて逃げたこと。
いわき市といえども、津波では300人も犠牲になったこと。
航空機事故よりも多い数です。決して少ないとはいえない人が犠牲になったのでした。
(合掌)
波立の海の家はもうなくなってしまっていますが、波立海岸の岩はまだあったので懐かしい景色は
昔のままのようでした。

hisanohama shurine.jpg


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