311のプール [日記]

震災から3年、311が近くなるとテレビで福島や浜通り、いわき、フラガールが映って見えるので懐かしいのですが、被災がなかったら、こんなに福島弁をテレビで聞くことはなかったと思うと複雑です。

 当日はちょうど仕事が休みだったので、二宮の町民プールへいって水中ウォーキング、ジャグジーでジェット噴流マッサージをしてきました。
背中や肩にお湯の噴流を当てて、のんびりと円形ガラス窓の外で咲く赤い椿やパンジーを眺めてリラックス。肩こりや腰痛にバッチリ効きます。
足の裏を揉んだり、ふくらはぎにも水流当てると、血流が良くなり、足もつったりしなくなるようです。
二宮のプールは去年は一回程度しか行かなかったので、今年はもっと行って健康作りしようと思います。
入場券を市町村別にわけて箱に入れるのですが、秦野からの人が多かったようです。
平日とあって空いていて入場者は合計26名でした。

 プールは50分毎に10分休憩ですが、311なので、2時台は、40分から50分を休憩とずらして、2時46分には全員黙祷をします、という張り紙がありました。

その1時間前にプールから出てきたので、全員黙祷には参加できませんでしたが、買い物をして帰宅後、
家で一人で神様仏様に拝礼、黙祷しました。
 なんといっても、2万人もの死亡、不明者があり、被災、避難者も数十万人なのですから、日本全体が
沈黙、黙祷するのは当然のことでしょうね。
 さて、去年の311は記憶にないので何をしていたのか、と手帳をめくれば、引っ越しの真っ最中で、
エアコン取り付けの日でした。その他工事もあり、テレビを見ることもできなかったのでした。

 今年は帰宅後、ずっとテレビを見ることができて、考えること多々ありました。
三陸の志津川町は、防災会館は崩壊したのですが、高野会館という建物は大丈夫で、当時、老人会をしていた約300人は屋上に逃げて助かったこと、

 若い人が祖母や祖父の手をつないで逃げたが、津波に飲まれて手を放してしまったこと、
逃げようとしたときに、優しい少年が祖父母を迎えに行って一緒に津波の犠牲になってしまったこと、など
 様々な出来事によって、生き残る為のとっさの判断ということを考えさせられます。
小学生が70人も犠牲になった大川小学校で、流されたけれども奇跡的に助かった少年は、生かされたことは自分が今後、何か役立つことがあるのでは、と健気に話していました。

 仮設住宅も3年となると寒いし、暑いし、なかなか不自由ではないかと思われます。
早く家を建てて、といっても未だ数パーセントしかできていないという遅すぎる政府のようです。

 
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