茨城県阿見町の予科練平和記念館 [戦争]

6月7日、東京在住の叔母、77歳に誘われて、土浦の叔父を訪ねてきました。
叔父は亡き父の4歳下で84歳です。
84歳の叔父を訪問するといったら、大体のイメージとして病床に横たわる叔父、あるいは元気なら、ソファか籐いすでくつろいでいる叔父を訪ねて、お茶のみ話しをしてくる、というイメージが湧くかと思いますが、あにはからんや!

84歳の叔父は、駅に車を運転して迎えに来てくれて、案内してくれたのです。
叔母は、運転を心配して、気をつけてね、と強調していましたが、私はこうなったらまな板の上の鯉、
安心して乗車しておりました。

当初、昼食後は日立海浜公園も案内してくれるはずでしたが、大雨の後なので雨もまだぱらついているし、
1時間もかかるし、とパスしていただき、目的の予科練記念館にドライブしていただきました。

10年前にも今は陸上自衛隊の基地になっている霞ヶ浦の予科練跡地を叔父に案内してもらったことがあり、
亡き父が海軍予科練少年兵として訓練を受けていた場所だけあって感慨深いものでした。

当時は木造の兵舎跡に、少年兵や特攻兵の手紙、遺書、写真、日章旗、記念の品々が展示され、外の庭にはゼロ戦の飛行機が残されていました。

ところが今回も自衛隊の門に車で行くと門番の兵士が今度は新しく記念館ができたので、入口が違うというのです。
そこでUターンして、5分ほど走ると、立派な鉄筋コンクリートの美術館のような建造物が見えて、すぐに
それとわかった次第。
立派で大きな内部には展示物はもちろん、短編映画を上映する小部屋や、当時の食堂の再現などなかなか充実した内容です。
4年半前に建築されたという記念館の中は詳しい説明をしてくださるガイドさんもいて理解が深まり、勉強になりました。
空襲を体験できる映画上映というのはパスして、特攻隊についての映画を見ました。10分ほどです。

人間魚雷、回天の模型もあり、テレビドラマで使われたというのですが、内部が輪切りになっていて覗くことができます。小さな椅子の傍に入ったら中からは出られないハッチがあり、怖ろしいものでした。

ガイドさんの説明によれば、回天は、185発、つまり185人が発射されたのですが、敵艦に命中したのは、たった5発。そのほかは、海に落ちたり、海岸に落ちたりしたそうです。

しかし、海に落ちたからといって、脱出することは不可能な設計になっているので、そのまま中で窒息か
餓死するしかないのです。これを考えた人は悪魔か、です。
185人の精鋭はすべて予科練出身だそうです。
予科練は航空工学を学んでいますので、敵艦との距離を測り、何秒で当たるかを計測できるので選抜されたそうです。優秀な若者を185名も自国が殺したわけです。

30年も前にドイツ旅行をして、ミュンヘン郊外のダッハウにあるユダヤ人強制収容所を見学して、
ガス室の中を外から覗いた時と同様の恐ろしさを感じました。

戦争とは、戦争に行かない支配者によって敵国だけではなく、若い優秀な国民が殺されるという狂気ではないか、と思います。
支配者は行けという命令を出すだけで、自分は官邸か豪邸でのんびりとコーヒーなど飲んでいるわけです。

そのほかにも、当時の予科練の訓練の過酷さを知り、ケツが腐るほどバットで殴られる、といった父達の苦労が少しだけでも理解できたような気がします。

日本軍の中で横行していた部下をイジメ倒す伝統は、絶対に継承してはなりませんね。






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