行動する建築家、坂茂(ばんしげる)さん [災害]

世界的な建築家、坂茂(ばんしげる)さんは、建築のノーベル賞といわれるプリツカー賞をはじめとして数々の受賞をしている有名な建築家です。巨大で斬新な建物も素晴らしいのですが、彼は弱者とともにある建築を志し、世界中の災害の避難者のための仮設住宅なども手掛けてきました。
今回の西日本豪雨災害でも、体育館の避難者のために段ボールベッドや紙パイプの仕切りカーテンなどを寄付し組み立てました。
以下はWikipedia からの引用です。・・・・
「マイノリティ、弱者の住宅問題に鋭い関心を寄せ、ルワンダの難民キャンプのためのシェルターを国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) に提案し開発・試作した。
1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)後の紙のログハウス(仮設住宅)や教会の集会所を特殊加工された「紙(紙管)」で制作。トルコ、インドで起きた地震に際しても仮設住宅の建設を行った。2005年に津波災害を受けたスリランカキリンダ村で復興住宅、2008年に大地震の被害に遭った中国四川省の小学校の仮設校舎、2011年の地震で被害を受けたクライストチャーチ大聖堂の仮設教会の建設を提案した。東日本大震災では、体育館などの避難所に避難したものの、ひとつの空間で多くの人々が同居している状態で、プライバシーがまったく無くて苦しんでいるが言いだせない人々のために、紙パイプと布を使いプライバシーを確保する提案(間仕切り)をし、各地の役所職員たちを説得してまわり、また仮設住宅の建設、質の向上にもかかわった。女川町で坂茂が提案した海上輸送用のコンテナを使い家具を作り付けにした2-3階建仮設住宅は快適で、期限が来てもそのまま住み続けたいと希望する人々が多いと報じられた。
阪神・淡路大震災後に被災地神戸で手がけた「紙の教会」では1995年第41回毎日デザイン賞大賞[、第3回関西建築家賞大賞、1997年度JIA新人賞、「家具の家・カーテンウォールの家」で1996年吉岡賞、東日本大震災被災地にて活用された「紙の建築」で平成23年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
グローバルに問題を考えており、建築資材などをあらかじめ確保しておき、どこかの国で大災害が起きた時にそれを供給するしくみ作りも進めている。そうしたことを行うにあたって、ただ慈善や寄付だけに頼るのではなく、通常の経済の循環の中に組み込み継続性を持たせることも進めており、それに関して坂茂が思いついたアイディアは、まず途上国に仮設住宅の工場をつくり、その工場で作られる住宅を、災害の無い時には各国のスラム街の住環境を改善するのに用い、もし災害が起きたらそれを仮設住宅として供給するという方法で、これで、途上国で雇用も作りだしつつ、住環境改善も実現し、災害時には苦しむ人々を救うということもできるというものである」以上引用終わり



紙の建築 行動する――建築家は社会のために何ができるか (岩波現代文庫)


SHIGERU BAN


日経アーキテクチュア Selection 世界の木造デザイン (日経アーキテクチュアSelection)


紙の建築行動する―震災の神戸からルワンダ難民キャンプまで


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世界的建築家坂茂氏の木造仮設住宅が完成 [災害]

th[2].jpgth[7].jpg昨年の産経ニュースから転載させていただきます・・・
世界的な建築家として知られる坂茂氏(59)らが手掛けた木造仮設住宅が熊本県御船町に完成し、報道陣に公開された。2日から入居が始まる。坂氏は「仮設住宅でも住み心地がよくなるように改善する活動を続けたい」と述べた。 
 坂氏は平成7年の阪神大震災以降、被災地で活用される建築に力を入れてきた。紙管やコンテナを利用した仮設住宅や、プライバシーのない避難所用に、間仕切りシステムを開発した。こうした点も評価され26年、「建築界のノーベル賞」と称される「プリツカー建築賞」を受けた。
 熊本地震に際しても「避難所生活を少しでも快適にしてほしい」と、熊本県内40カ所の避難所に、計2千セットの間仕切りを無償提供した。
 さらに、県が一部の仮設住宅を木造とする方針を打ち出したことを受け、坂氏が設計を手掛ける仮設住宅プロジェクトが進行した。御船町小坂の竹やぶだった空き地2カ所に、木造仮設住宅3棟10戸が完成した。
 仮設住宅は2DK(約30平方メートル)7戸と、3K(約40平方メートル)3戸。天井が2・4~2・7メートルと高く、部屋と部屋の間に、収納空間を配した。
 柱や壁には、工場で作った木のフレームと合板を組み合わせた木質パネルを使用する。現場での工期は約1カ月足らずという。
 坂氏が主宰するNPO法人「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」(東京)の原野泰典事務局長は「十分な遮音性能を確保した。また、木質パネルを使う仕組みは安価で、多様なオーダーにも対応できる。坂建築の真骨頂が発揮された」と解説した。
 坂氏らは今後も、慶応大や熊本大と共同で、建築からの被災者支援を続ける方針という。坂氏は「予算や広さには制約があるが、住環境のグレードアップは欠かせない。仮設住宅を住みやすく改善する努力を続けたい」と述べた。(谷田智恒)
坂氏曰く「先日の宮中晩餐会(ばんさんかい)で、オバマ米大統領が僕に「あなたの建築のファンです。私は昔、建築家になりたかったんです」とおっしゃったので、「まだ手遅れではないですよ」と申し上げました。政治家はいろんな人の利害関係を調整し指揮する立場。その意味では建築家と似ていますね。そういえば第3代米大統領、トーマス・ジェファソンは建築家でした。」
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テロかと思った火災 [災害]

先週のこと、午前10時半ごろに大磯方面から平塚の北東方面へと車で向かってました。
空は晴れ、白い雲があちこちに浮かんでましたが、北東方面だけ一か所黒い雲が浮かんでいます。
車を走らせながら、あれれ、変だなと良く見ると雲は下のほうから黒煙が流れ出ていて上空に黒い煙がたまっているのが雲のように見えていたのです。
ようやく火事ではないか、と思って見ると、どうやら、平塚の田村か寒川方面に見えます。
田村まで行って聞けば、なんと寒川でもなく、平塚から20キロも離れた綾瀬市の工場の火災だというではありませんか。
平塚でも焦げ臭くて、間近に見えるのですから、相当大きな火災でした。
4,5時間も燃え続けて、夕方にはようやく鎮火しましたが、夕方から夜にかけては相模平野一帯に黒い雲が灰色の汚染空気となって広がり、大磯のほうまで焦げ臭さが残っていました。
翌日は雨だったので、臭気はどうやら消えましたが、ニュースで見ると、積載された電化製品が燃えたというので、いろんな化学物質が燃えて空気が汚染されたようでした。

人質事件によって、日本もテロの標的にする、と言われたさなかでしたから、これもテロかと驚いた出来事でした。

 平塚から撮った写真を掲載します。

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八木蛇落地悪谷ーやぎじゃらくじあしだに [災害]

広島の土砂災害は大変なことでした。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

阿修羅の記事で注目したのは、被害が多かった八木地区の昔の地名です。
以下は引用です。・・・・
平野孝太郎さん(71)は「昔は蛇が降るような水害が多かったので、悪い谷・悪谷

名がついたそうです。
八木蛇落地悪谷=やぎじゃらくじあしだに=が八木上楽地芦谷と改名され、
さらにいまは八木だけが残ったようです」という。
名前が変わるうちに「土砂崩れ」の教訓も忘れ去られたらしい。

130年つづく浄楽寺の住職によると、竜がいて、その首をはねたところから「蛇落地」と
ついたという。
「竜は水の神で、水害を収めたということかもしれません。
記録にはないが、語り継がれてきました」
近くの光廣神社に残る絵には、竜を討伐した武将のかたわらを激流が走る。
こうした伝えは水害への警戒を促すと解釈できる。」

昔の地名をやたらに新しいハイカラな地名に変更することが全国的にはやった時期が
ありました。
しかし、昔の地名というのは意味がないわけではなく、重要な教訓を含んでいるのだ、と
わかりますから、やたらに変えないほうがいいのでは、と思いました。

前は良くベンジャミン氏の講演会に行ったり、本を読んだりしていましたが、
最近はyoutubeに妙な宗教みたいな映像が出てきたり、なんかヘンテコになったようで、
新刊本も読まないで遠ざかっておりました。
ところが久々に出た新刊本は、彼の総集編、まともになった、と評判でベストセラーの
ようです。



ファイナル・ウォー  アメリカが目論む最後の「日本収奪計画」