「永遠のゼロ」の原典、「大空のサムライ」と「父、坂井三郎」 [戦争]

一昨日「永遠のゼロ」の原典という戦後のベストセラー、「大空のサムライ」を読んで感動した。
零戦の戦闘者、米のグラマン機を合計60機以上も撃墜し、一機で15機を相手にしても勝利した坂井さんの戦記、ガダルカナル、硫黄島、生きるか死ぬかの戦いは壮絶。
 我が父親が行っていた霞ヶ浦海軍航空隊で、坂井氏も飛行訓練を行った。
私は五歳で父親と別れたので、当時のことなど全く聞くことはできなかったのだが、坂井氏が「大空のサムライ」で霞ヶ浦の兵舎や講堂の様子、飛行訓練の様子を事細かに書いてくれたので良く理解することができた。
 始めての飛行訓練は、先輩が前に乗り、後に新兵が乗って連動する操縦桿を握る。
先輩の操縦の手つきを握って覚えるのだが、先輩が手を放すと、新兵が操縦することになる。
まさにドキドキの様子が坂井氏の簡潔な文章でわかりやすい。

また、米軍のグラマン戦闘機とたった一人で闘った場面なども、左右に旋回、急上昇、急降下、後から銃撃されたときは、左に旋回すると、すぐ右手をその米軍機が通り過ぎる。
ついに雲の中に入って逃げるとか、ハラハラドキドキ。
少女の頃にはまったく戦闘など興味がなかったのだが、昔、少年らが戦争ごっこしたりしたのは、このハラハラドキドキが面白かったのか、とわかった。

 戦争は殺し合いだが、相手を殺さなければ自分が殺されるとなると仕方のない場面もあるし、飛行機での
戦闘の場合は、対面ではないので、一種のスポーツのようで悲惨さは少ない。
それでも、坂井氏は敵機の中で米兵が負傷し血を流しているのを見ると、気の毒だからと、もう一発銃撃して、敵機が煙をあげて海の中に落ちる所まで見届けた。
 朝食で笑顔で話した同僚の兵士が一緒に飛び立ち、夕食の時はもういない、ということが当たり前の戦争だった。

 昨日は図書館で坂井氏の娘、坂井スマート道子さんが書いた「父、坂井三郎」を借りてきて読んだ。
日常生活でも、歩く時も車の時も、前後左右上下に注意、とか、机の周囲はコックピットのよう、
とか危機管理に大変勉強になった。
朝起きたときは、「今日も起きられたことに感謝します。今日ももりもり働きます。」と大声でいう。
朝坂井氏を送り出す時は、必ず笑顔で送り出す。
いつ死ぬかわからないからだ。
戦後になり、坂井氏を銃撃したアメリカ人と戦後出会って笑顔で握手したこと、
坂井氏の娘が米陸軍兵士と結婚したこと、結婚したときから武士の娘らしく、アメリカでも懐剣を
持たせていること、(アメリカ人はベッドの傍に拳銃を置いておくくらいだから平気なのかも)
アメリカの米軍基地へ行って成る程と感心したこと、実に面白いです。
2000年に84歳で逝去。

 彼こそが本当のラストサムライかもしれない。





大空のサムライ―かえらざる零戦隊 (光人社NF文庫)


父、坂井三郎-「大空のサムライ」が娘に遺した生き方-


父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方


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