斉藤一人さんと小俣和美さん [人生論]

一人さんファンとしてネットで色々調べているうちに、10人のお弟子さんのうちの一人小俣さんが三年前に独立したことを知った。
そういえば最近のお弟子さんの講演会には出場していない。
一人さんは全国の販売網を10人の弟子に分担させて、それぞれを地区の社長とし、その10人を長者番付に載るような億万長者に育てた。
その中でも東京や千葉地区を担当していた小俣さんは相当な億万長者だったようだが経緯を拝見すると
小俣さんは息子二人と数年前から計画をして銀座まるかんのお客さんをごっそり持っていく計画を実行したとか。資金集めの為に独立直前に小俣セレクトというセット商品を販売していたとか。
突然代理店にファクスした内容がある。
小俣さんの言い分としては息子二人と一緒に働き、銀座まるかんの商品サプリメントの成分の内容を良く知るようになると不満が出てきて成分の分量を変えるようにと一人さんに進言したが聞いてもらえず、更に宇宙エネルギー療法などにも不満があったとか。
ファクスには書いてないがほかにも不満があったのだろうか?
例えば一人さんが若い美人の社長さんばかり可愛がるとか?

それまでは小俣さんも息子の小俣寛太さんも一人さんとの本を出したり、ついてる神社や観音様を建てるなど大いに協力していたようだった。

では独立してどんな商品を売っているのかとそのNという会社のホームページを拝見してみた。
するとほとんど一人さんの銀座まるかんの商品と同じ。
名前もそっくりなのであからさまにパクリだとわかる。
たとえば、「ひざこし命」は、「歩座楽」となっている。
たしかに膝と腰が良くなれば歩く座るは楽になるので笑えるのだが。
ほかの商品名も似たりよったりで、元は銀座まるかんのあれだな、とすぐにわかる。
要するに不平不満で独立したのはいいが独自の商品ではなく真似なのだ。
私も以前に銀座まるかんの青汁酢を飲んだとき、塩分が多すぎではないのかと思ったことがある。
けれどその塩分を減らし、成分を少々替えたくらいではオリジナルとはいえない。
イエスキリストも12人の弟子の一人に裏切られたのだが、一人さんもそのようだ。
一人さんのお陰で億万長者になれたということの感謝を忘れ、不平不満で独立、その商品がぱくりだとするとまずいのではないかと思う。
運と縁の法則でいうと成功は困難な話だ。
小俣さんは一人さんのパワーのお陰で億万長者になったということを忘れ、自分の力を過信してしまったのではないかと思う。
斉藤一人さんの商品は彼のカリスマ的な魅力で売れている部分が大きいし、彼のパワーがあるからいいと
買う人もいるので、商品から一人さんの名前を抜いた商品では徐々に力を失っていくのではと思う。
小俣さんにどんな魅力があるのか新たなカリスマ力があればだが、そうは思えない。
お弟子さんらの本が売れているのも、本の表紙に「斉藤一人」の名前が著者名よりも大きく書かれていればこそなのだ。

どちらにせよ、一人さんの哲学には傾倒しているほうなので残念なお家騒動だった。



(銀座まるかん)わかさぴちぴちコラーゲン10本セット



スーパーレディ [人生論]

今年知り合った素敵な女性をご紹介したい。
ある高校で家庭科の講師をしていらっしゃる70代のK先生。
定年で退職されてから、仕事をする気はなかったが、あちこちからお呼びがかかって仕事を継続しておられるそうな。
大きな声で実習を伴う授業をされて肩こりも何もないと元気いっぱい。
それだけではない、ボランティアで公民館で外国人の為に日本語を教えて10数年。
海外からの留学生の為にご自宅でホームステイを受け入れて20年、ずっと留学生のお世話をしている。
若い頃にお子さんを3人出産、久々に教師の仕事に復帰したとき、それまで続けたお弁当作りをやめたくない、とご主人とご自分、三人のお子様達の5人分のお弁当作りを継続された。
しかも、毎日お弁当の写真を撮り、レシピを手書きして保存、それが25年間。
お料理の本にも紹介されたほどの美しいお弁当だ。
今はお子様たちも巣立たれてご主人との二人暮らし。
しかし、保護司というボランティアの仕事もしているので休むヒマもない。
若すぎるママのお世話をしたり、他県にある刑務所の訪問をしたりしている。
夜の10時頃にご主人と珈琲タイムで語らい、その後メールチェックをして返信してからお休みになるという。
どうしてそんなにお元気か、というと、やはり専門の栄養のバランスの取れた食事。
そして少しの時間があれば、タイマーをつけてお昼寝をなさることかもしれない。
そして前向きなこと、いつもニコニコしていて愚痴を言うことがない、
お会いするだけで脱帽で、存在そのものが後輩の模範として、身の引き締まる思いをさせられます。

豪雨の連休には、ご主人の運転で愛知のご実家へ戻り、じゃがいもやとうもろこしの種植えをしてこられた。
留守のご実家も無駄にはしてなくて、半分は介護の施設へ貸していらっしゃるとか。
たぶん、K先生のことだから、ボランティア精神で格安だろうと想像する。

私などは怠け者だから、K先生くらいになられたら、温泉でのんびりとか、何もしないでごろごろ読書に映画にインターネットと散歩くらい、という生活を夢見ていたが、その夢は甘いのかもしれない。
いやはや、これからは老後も仕事をしたほうがいいのかも、と思う。
K先生も仕事をしているから、やりがい、張り合いがある、何もしない日なんてつまらない、と仰るのだ。


斉藤一人「上気元」どっちに転んでも大丈夫 [人生論]

人生をやっていると、あのときああすれば、このときこうすれば、と後悔して心が痛むことがあると思います。
長く生きれば生きるほど、そうそう、バカだったとか、恥ずかしい、アナがあったら入りたいということがあります。

しかし、そう思って反省ばかりしていると、何もできない、先へも進めないことになり、
控えめにひきこもっているわけにも行きません。
地球は自転公転しているのですから。

居直りとか開き直りじゃなくて、すべてが上手くいっている、万事塞翁が馬、
どっちに転んでも大丈夫、と思うことにしましょう。
自分を否定ではなく、肯定することで運が開けます。
それを開運というのでしょう。

開くという漢字の門を開くと、神社の鳥居が出てくるのです。

今日一日生きる間にも、ああすれば良かった、こうすれば良かった、ということが
あると思います。
まっすぐじゃなくて右へ曲がったら渋滞していなかったのに、とか、
駅の東口のパンやさんで買って帰ろうとしたら、北口のパンやさんじゃ、100円均一の
セールをやっていた、しまった、とか。

そんなことをくよくよしていると、暗くなります。
後悔する瞬間に、
どっちに転んでも大丈夫、と笑って終わることで、明るい人生に変わるのだ、と
考えました。

いつでも上機嫌が大切、
斉藤一人さんの「上気元」という本を読んで思いました。




すべてがうまくいく 上気元の魔法


遊行期 [人生論]

 以前にある先生(大学でも教えている50代の男性)が、「今時のワガママな学生に教えるのは大変でしょう」
という問いに対して、「なあに、遊んでいるようなものだよ」と答えられました。
その先生はいい加減に教える方ではなく、熱心なご指導で模範ともなるべき先生なので、
遊びではないのです。
ただ、膨大な見識をもってすれば、それを教えるというのは、知識や知恵を学生にちょっと分け与えるのは
頭脳遊びのようなものなのでしょう。
その問答を聞いて、はっと気がついたのは、仕事に対する考え方です。
仕事だ、仕事だ、と窮屈に考えるから、辛くなり、苦しくなり、面倒になることもあり、心の病になったりも
するのかもしれません。
いっそのこと、切り替えて、遊びに行くと思えば、いくらか楽になる部分もあるのでは、と思います。

 会社に行くのが嫌だ、あの愚痴ばかりいう上司にこきつかわれるなんて、と思うとき、上司から
修行のシャワーを受けにいく、滝修行の代わりだ、と思うといい、というのが斉藤一人さんの考えですが、
それも遊びの一貫だと思えば楽なのかも知れません。

 歯医者さんも、毎日毎日、患者の口の中を見るのはうんざりだ、と思うときもあるかもしれないし、
肛門科の先生だって、産婦人科の先生だって、毎日毎日、患者の??ばかり見るのは面倒だ、と思うかもしれません。

 工場に行って、毎日同じ作業を繰り返す、いやだなあ、と思うときもあるかもしれません。

 スーパーのレジに行って、無言で通り過ぎる客に何度も「ありがとうございます」といわなくてはならない、
めんどくさい、と思うこともあるかもしれません。
レジの人に「ありがとう」というお客は少ないのです。
 それも愉快な遊び、無言ゲームの一つだと思うといいのかもしれません。
 
 どんな仕事も嫌々ながらお金の為に行く、のではなく、遊びとして仕事をするんだけど、なんだか月末になると
お金が振り込まれる、と考えを切り替えるといいのかな、と思います。
 
桐島洋子と五木寛之に同じ「林住期」という本があります。
インドの仏典「マヌ法典」によれば、人生は四つの期間に分けられるとか。

「学生期(がくしょうき)」・・社会で生きるすべを学ぶ時期

「家住期(かじゅうき)」・・・大人になり結婚し子育てをし、家族を養い、仕事に燃える

「林住期(りんじゅうき)」・・子育ても終わりリタイアして、人生を振り返る

「遊行期(ゆぎょうき)」・・・人生最後の締めくくりで子供の心に還る時期

青春を過ぎ、朱夏を過ぎ、白秋を過ぎ、玄冬に到る・・「玄冬」が遊行期となる。

この世に生を受けた人間は、ちゃんと世を去ってこそ人生である。

「玄冬」はただ薄暗く淋しい冬枯れの季節ではない・・・・玄とは玄米の玄であり、黒いと言う意味と
同時に「幽玄の世界に回帰」する事を意味する。

「遊行」とは・・・如何なるものか?死に場所を求めて当ても無く彷徨う時期ではない・・・
子供の頃に戻り遊び疲れるまで遊ぶ時期なのである。

遊びをせんとや生まれけむ

戯れせんとや生まれけむ

遊ぶ子供の声聞けば

わが身さえこそゆるがるれ

五木寛之氏は、林住期を50~75歳と長く考えていますが、私は四つの時期を20年ごとに区切ると
ちょうどいいのではないか、と思います。
すなわち、20歳までが学生期、40歳までが家住期、60歳までが林住期、80歳までが遊行期です。
最初の先生は50代ですが、既に60歳過ぎの遊行期に入っておられるのでは、と思いました。
そういえば、藤沢には遊行通りがあり、遊行寺があります。


人生は重荷を背負うて長い坂を上がるようなもの・・・幸福論 [人生論]

 徳川家康の名言にタイトルのような文章が書いてあります。
若い頃に聞いた時は、いやだなあ、そんな人生楽しくないじゃん、と思ったものです。
が、実際、長い人生を歩いてみると、上り坂ばかり、です。
しかも、いつも何らかの重荷を背負っています。
一つ荷物を降ろしたと思うと、次の荷物がすかさず背中に来ます。
 家康さんの言ったとおりじゃん、です。

占いやカウンセリングをしていると、完璧幸せ、という人はいません。
なにかの悩みを抱えて呻吟しているのです。
 
 病気でいえば、歯痛が治ったと思ったら、次は膝が痛い、膝が治ったと思ったら、次は
風邪をひく、てな具合。
 家族でいえば、子供の非行が直ったと思ったら、次は親の徘徊、という具合に
次から次へと重荷が来ます。

 じゃ、皇室みたいな貴族になったら、どうよ、といえば、生活の心配はないかもしれないけれど、
皇室の中でも精神的に辛い人がいるようです。
 今の世の中、皇室のお姫様を学校でいじめる餓鬼もいるようで、世が世ならお手討ちものですね。

 ホームレスから皇族まで悩みは尽きないのが人類というもののようです。

 娑婆で生きていて幸せになるには、どうしたらいいの、という疑問に答えてくれるのは、
斉藤一人さんです、
「幸せの基準を下げなよ」と簡単に言ってくれます。
そうです、生きているだけで、息をしているだけで幸せ、と思えば、毎日幸せなのです。

 また、家康の言うとおり、悩みや重荷はあって当たり前、と悟れば、気が楽になるのですね。
 そして、満月のような人生をのぞむのではなく、一つ悩みがあっても、それは自分の1%
なんだから、あとの99%は、ご飯を食べられるし、朝起きられて空が青いし、と感謝し、幸せと
思えばいいようです。
 ところが、1%の悩みを拡大して、残りの99%まで悩みで浸食してしまうので、絶望したりする、と
いうわけです。
そして、いつも私は100%不幸だ、となってしまわないように、
不幸はたった1%なのだ、と思って気楽に思うと、幸せに生きられるのかもしれません。

具体的な方法は、不運だ、とか不幸だ、と思ったら、ほかにある幸せの理由を10個見つけるといいのです。
歯が痛い、だから全て不幸だ、ではなく、
でも目が見えて、耳が聞こえて、話ができて、歯医者まで歩いて行けて、本も読める、
歯科の受診が終われば、ご飯がおいしい、コーヒーがおいしい、等々、
幸せの理由をいっぱい数えると楽しくなります。
 そして、重荷があるのが普通だ、と考えると楽になります。
 誰しもが、自分だけ重荷を背負っていて、坂を上がるほかの人は楽そうだ、と見えますが、実は
みんな目には見えない重荷を背負っている、とわかると、人生は生きている限り修行なんだ、と
知ることができて、それが悟りというものかもしれません。